「あしたから出版社」を読んだ

ひとり出版社である夏葉社を作った島田潤一郎さんの、「あしたから出版社」を読み終えた。こう言うと不謹慎かもしれないけれど、とても羨ましい話だと思った。恵まれている人だな、と。著者の島田さんは、兄弟のように仲が良かったいとこを亡くした悲しみ、なにより息子を亡くした叔父叔母の悲しみの支えとなるような本を作りたいと思い、出版社を立ち上げた。きっかけになったいとこの死や、後輩の死など、つらく悲しいできごとがあった。それを軽んじるつもりはまったくない。それでも著者はいろいろ恵まれていると感じた。それはこの本を読んでいてすごく印象的な部分だった。

島田さんは31歳のとき、出版社を立ち上げるために父親から200万円借りた。後に母親から200万円借りている。うちの家ではありえない。実家が太いということがまず恵まれている。東京在住で、出版社を立ち上げてからも実家暮らしが続く。それを咎める親でもない。むしろ応援してくれている。そして出版社を立ち上げたばかりの島田さんに、編集者の先輩が仕事を回してくれる。初心者の島田さんに、一から仕事を教えてくれる。こんなにいい先輩がいるのだろうか。島田さんの周りには、すごく良くしてくる人たちがいる。両親や叔父叔母、いとこや先輩後輩と、こんなにも良い関係を築けている。それはただ羨むことではなく、島田さんの人徳なのだと思う。

文章からも島田さんの人柄がよくわかる。多分、ちょっと不器用なんだろうな、とか、真っ直ぐな人なんだろうな、とか、ひたむきなんだろうな、周りのことを見るのは苦手だろうなという、島田さんその人の人物像が文章によく現れている。この人が本屋の店員さんや、先輩や、いろんな人に好かれ、助けてもらえるというのもよくわかる。それだけのことを周りに与え、人との縁を引っ張ってくる、掴む力があるように思う。この本では「自分だとこうはならない」と思うようなことがたくさん起こる。それはただ島田さんの運が良かっただけではなく、本人の魅力だということが伝わってくる。やはり羨ましい。

島田さんは出版社を始めるにあたり、「ぼくには、つまり、本しかなかったのだ」と書いている。これも実に羨ましい話だ。島田さんは幼少期から文学漬けだったわけではないが、名前の潤一郎は谷崎潤一郎にちなんで名付けられ、子供の頃から本屋通いが日課になっており、挫折はしたが大学生の頃から27歳まで作家を志していた。「ぼくには本しかない」と言えるほどまでに熱を入れ、本と関わってきた。取り組めることがあった。それだけでも十分に羨ましい。情熱を傾けてきたこと、自信を持って「これしかない」と言えるもの、僕にはそんなもの何一つない。何もかも、気持ちでさえ中途半端だ。

島田さんがそれだけ情熱を捧げて作った本は、ぜひ読みたくなる。所有したいと思う。このために人生をかけ、出版社まで立ち上げた「さよならのあとで」を買った。挿絵一つ一つと、言葉の一つ一つを大切にしたいと思う。この「あしたから出版社」は「さよならのあとで」ができるまでを書いた本だと言っていいぐらい、第一章では重きを置かれていた。第二章は、急に失速した感じがした。時系列に話が進んでいく第一章とは違い、第二章は別々のエピソードを集めたエッセイ集のような作りだった。熱く流れるように進む第一章をおもしろく読んでいたから、第二章には最初面食らった。読んでいくうちに、これはこれでいいのだろうと思えてきた。そして最後に、「さよならのあとで」の話を回収してくれたからよかった。

「あしたから出版社」は生き方指南書ではない。誰もが島田さんのような恵まれた環境は得られないし、島田さんのような悲しい経験もしていなければ、島田さんのように頑張ることもできず、島田さんのような人徳もない。島田さんの人生は、島田さんだけのものだ。だから、サラリーマンが合わない人にどういう生き方があるのか、といった話の参考には全然ならない。ただ島田さんという人物の話を面白く読めた。ここに出てきた京都の古本屋「善行堂」で、ここに出てきた本を何冊か買ってしまった。古本屋はまた訪ねたい。買った本はこれから読みたいと思う。

さよならのあとで

さよならのあとで

猿岩石日記を読んだ

深夜特急をはじめ、いくつかの旅行記を読んできた。しかしなぜか、猿岩石日記はこれまでに通らなかった。理由の一つとして、あまり見かけなかったというのがある。猿岩石日記は250万部売れたベストセラーであるにもかかわらず、今ブックオフなどで売られている姿をほとんど見かけることがない。それこそ僕が中学生、高校生の頃には必ずあったような気がする。しかし当時は旅行本なんて読まなかった。

猿岩石日記は「ブックオフ大学ぶらぶら学部」でその名前を見かけ、そういえば読んでいないなーと思いメルカリで購入するに至った。まちなかの本屋、ブックオフには並んでいないけれど、メルカリやブックオフオンラインには在庫があり、購入することができる。Amazon等でも中古なら手に入る。1996年だから、25年近く前の本か。もちろん絶版。

  • 猿岩石って誰?
  • ユーラシア大陸横断ヒッチハイク
  • 猿岩石日記
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旅行できないこんな時期にASIAN JAPANESEを読み返していた

「アジアンジャパニーズ」を初めて読んだのは、僕がちょうど旅行を始めた頃で、10年前。当時は旅行の入門書として、教科書的に読んだ覚えがある。同時期に読んだのは沢木耕太郎の「深夜特急」、小田実の「何でも見てやろう」、いずれもバックパッカーのバイブルと呼ばれる名著ばかりなので、今もバックパッカーカルチャーに興味がある人がいればおすすめです。

バックパッカーという旅行形態は、10年前の当時既に下火だった。旅行もIT化、グローバル化が進み、バックパッカーという旅行のスタイルは、誰もが楽しめるレジャーの一つとして安心安全に機能するようになった。世界一周旅行なんて、勇気がなくても英語が喋れなくても、ちょっとお金と時間があれば誰でもできるようになった時代。10年前は既にそんな感じだった。手軽であるがゆえに廃れた。そこにかつてのバックパッカーが求めていたようなアドベンチャーはなくなっていた。

この「アジアンジャパニーズ」に書かれていることは、旅行の教科書としては時代遅れであり、かつ旅行の手段については何も触れられていない。読んだはいいが、参考にはならなかった。ではなぜそれを、今になってもまた読むのか。そこには何が書かれていたのか。それは、かつてのバックパッカーの名残りであり、彼らの心の内にある普遍的な心情だった。

「アジアンジャパニーズ」という本は、会社を辞めたばかりの写真家(23歳)が、初めての一人海外旅行、それもタイのバンコクや、インドを訪れ、現地で出会った日本人に片っ端からインタビューして写真を撮らせてもらうという形式の本だ。また、日本に帰国後も連絡を取り、その後の再インタビューも何人か分収録されている。旅行そのものよりも、その当時の旅行者、アジアを旅する日本人の内面をとらえることに、焦点が絞られている。著者自身の内面も多分に含まれており、まだ旅慣れていない様子、旅行との向き合い方や、初めて出会う人種、初めて見る景色への目線がういういしい。

ここで見られるような旅行は、現代のようなLCCやインターネットが発達し、都市化したアジアではめったに見られない。この本が出たのは1995年。著者の旅は本が書かれる3年前に終わっているから、25年から30年前の話だ。本に掲載されている写真を見ると、古い。25年から30年前の、当時の日本人の姿がある。けれど、ここに記されている心情は、現在においても見られるものではないだろうか。この本に出てくるかつてのバックパッカーたち。当時の彼らが現代にいたとしても、おそらく同じことを思っていただろうという心情が書きつづられているおり、色褪せない。

それは一体どんな心情か。一言で言えばモラトリアム。あのモラトリアムだ。バックパッカーはよく「自分探し」などと揶揄されるが、じゃあ彼らは一体どういう立場で、どういうつもりで放浪の旅などを行っているのか。それは同じアジアを放浪するバックパッカーと言えど、人によって結構違う。数ヶ月の旅で終わる人もいれば、4年続いた人だっている。30代の人だって意外といる。66歳のモラトリアムもある。帰国後に美大生になる人、陶芸家になる人、また旅に出る人、自殺する人、帰国しない人、一様には語れない。考え方もそれぞれ違う。ただし、誰もが何か思うところあって、アジアに逗留している。その間は、多くの人がやはりモラトリアム期にいる。

モラトリアムとは先延ばしと訳され、海外ではギャップイヤーなどがモラトリアム期にあたるのだろう。日本にはギャップイヤーがないから、日本人がモラトリアムを体験しようとするなら、自らモラトリアム期と場所を設けなければいけない。時期はさまざまだが、そこにアジアを選んだ人たちを、著者が取材している。同時に著者自身も、アジアでモラトリアムを体験している。著者は同じ旅行者として旅に寄り添っている。撮影した写真は帰国しても机にしまいっぱなし。当時文章はなく、本にする予定もなかったそうだが、後にこういう形になった。

アジアを旅する日本人の中には、いくつか共通するテーマを持っている。全員ではないが、そのうち最もポピュラーなテーマが、「日本社会に組み込まれることとどう向き合うか」である。日本から離れることにより、日本とそこにいた自分を客観的に見ることができるようになったと、多くの人が言う。今そこにいる土地には日本のシステムも常識もなく、日本の形や構造が外から明確に見える。いかに整っているか、いかに歪んでいるか、どんなスピードで動いているか、どんな色をしているか。日本社会に一度組み込まれた人も、これから組み込まれる人も、組み込まれることを拒絶する人も、アジアから日本を見つめ直している。これから自分たちが、日本社会とどう対峙していけばいいか、アジアで模索している。

これは僕にも経験のあることで、とてもおもしろかった。一度外に出て、外の常識に染まってしまってからでないと見えてこない日本の姿は確かにあった。外からの目線とは、日本の国内で、日本人としか付き合いがなく、日本の文化と常識にどっぷり浸かってしまっていれば決して得ることのできない目線だ。みんな一度は体験したほうがいい。特に「日本が嫌なら出ていけ」と言うような人たちにこそ、一度外国に住んでみてほしい。海外生活もいいもんですよ。

今でもそんな事を考えながら旅行する人はいるのだろうか。海外は結構外じゃなくなってしまっていて、いつでも日本と繋がっており、内側に組み込まれていってるような気もする。インターネットで日本と繋がったままでは、もしかすると外側からの目線は得られないかもしれない。外国にいても日本語を話し、日本人とばかり接している人は大勢いるから、それでは日本社会の外に出たことにはならないだろう。

そういう海外で自分と向き合うとか、日本社会を見つめ直すとかって、今となってはめちゃくちゃ懐かしい感覚だ。この本はめちゃくちゃ青臭いことばかり書かれていて、恥ずかしような笑いだしたくなるようなセリフだったり心情にあふれているが、そういうのを僕は、若気の至りだと言って軽視したくない。また、ただ懐かしむだけでなく10年たった今、もう一度見直したかったのだと思う。

ここには顔写真とおそらく実名も記載されており、日本に帰国してから芸術家を目指した人たちのその後をGoogle検索したくなった。

ブックオフ愛を語ることは後ろめたかった

なぜ今ブックオフか?というと、最近「ブックオフ大学ぶらぶら学部」を読んだから。それ以降またブックオフ通いを再開している。昨日買ったのは以下の4冊。

「ブックオフ大学ぶらぶら学部」は、ブックオフユーザーに勇気とアイデンティティを与える本で、読めば必ずブックオフへ戻りたくなる。そしてブックオフで猿岩石日記とか、どうでもいい本を100円(税別)で買いたくなる。おすすめです。

この本では、意気揚々とブックオフについて語られている。それぞれのブックオフ観や利用の仕方、いかにヘビーユーザーであるか、レベルが上がると価値の高い本だけ本棚から立体的に見えてくるという話は、ブックオフヘビーユーザーのあるあるネタらしい。

しかし、僕自身はというと、ブックオフに対してそこまで前向きに語ることはできなかった。恥を忍んでブックオフ通いしていたようなところがある。このブログでも過去に何度かブックオフについて触れているが、社会現象として取り扱ったり、せどりについて触れた程度。

「ブックオフ大学ぶらぶら学部」のようにブックオフ愛を公然と語るようなことはなかった。それはやはり、自分の中で「ブックオフは恥ずかしいもの」という認識があったからだ。

  • ブックオフに通う人々
  • ブックオフの立ち位置
  • 今こそブックオフ談義
  • 僕とブックオフ
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ちくま新書の80%オフ(6/20まで)、図書館利用について

Kindle本のセールです。僕は4冊買いました。

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

謎解き 聖書物語 (ちくまプリマー新書)

謎解き 聖書物語 (ちくまプリマー新書)

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

  • 作者:苫野一徳
  • 発売日: 2017/05/19
  • メディア: Kindle版

まだ読めてないんで感想は後日。

Amazon.co.jp: 筑摩書房 創業80周年フェア(6/20まで): Kindleストア

ついでに、僕は図書館をときどき利用するんだけど、紙の本やKindle本を購入することも多い。図書館で借りる本と、買う本はどう違うか。今回買った3冊だって、セールとはいえ図書館で借りたら無料で読める。図書館を日常的に利用するのであれば、わざわざ買う必要なかったんじゃないか?と思われるかもしれない。

しかし、おそらくこれらの3冊は、図書館でわざわざ借りて読んだりしない。図書館で借りたら2週間で読み切ってしまわないといけない。そういう気持ちになれないと、読まないまま返してしまう。実際のところ、図書館で同時に2冊、3冊と借りた場合、1冊は読まずに返してしまうなんてことがざらにある。本や電子本を買うことの利点として、積んでおけることが大きい。いつでも読める。どんなペースでも読める。ゆっくり読みたい本や、今回のようにセールのタイミングで買っただけですぐに読まない本はある。そういう本は、本棚やKindle内に入っていればそのうち読む。いつか読む。しかし、図書館で一度借りて返してしまった本を再び借りることはない。僕は一度もない。読まなかった本、として処理されてしまう。

今回買った3冊は、図書館では借りない。ということは、買わなければ一生読まないであろう本だ。では、図書館で借りる本とは一体どういう本なのか。まず第一に、高い本。特に、そこまで興味がない本を読みたいけれど高いときは、図書館で借りる傾向がある。次に、売ってない本。Amazonにもない本が図書館にあることは普通。絶版とか。最後に、読み返さないだろうなーっていう本。読み返す本なら図書館で借りて読んでから購入することもある。あったっけ。多分あった。

紙の本とKindle本の買い分けは以前に書いた気がするけれど、最近はまた紙の本を購入することが増えた。というか、電子化されていない本ばかり買っている。

感染症について、本から学ぶ

イタリアの小説家、パオロ・ジョルダーノという人が書いた『コロナの時代の僕ら』というエッセイが早川書房より日本語に翻訳され、現在全文無料公開されている。全27章仕立てのnoteとなっているが、一章あたりは短いため読みやすい。無料公開は本日4/11の19時(※12日に延長されました)までなので、今日中に読んでしまおうと思う。

本書は、イタリアでコロナウイルスの感染が広がり、死者が急激に増えていった本年2月下旬から3月下旬に綴(つづ)られたものです。感染爆発を予感しながらも、最悪の事態を阻めなかったみずからとイタリアの人々、そして人類のふるまいを振り返る、著者の思考と後悔の記録です。

4月11日時点の、イタリアの感染者は147,577人、死者は18,849人を数える。

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』という本が、PDFで全文無料公開されている。こちらは3,000円もする本だが、無料公開をきっかけに重版がかかったそうだ。ダウンロードは4/30まで。こちらも気になる。

流行性感冒 (東洋文庫)

流行性感冒 (東洋文庫)

  • 発売日: 2008/11/17
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)

岩波新書のサイトでは、本ではないが『パンデミックを生きる指針』という文書が公開されて話題になっているそうだ。こちらは京都大人文研准教授の藤原辰史さん(農業史)による、歴史の検証から書かれた指針。PDFでダウンロード可能。A4で8ページと本よりも短いため、入門に丁度いい。

ノーベル文学賞作家であるアルベール・カミュの作品『ペスト』は、少し前に品切れが話題になった。中古書店からは姿を消し、メルカリ等では1,500円、2,000円近い値がついている(僕は2016年にブックオフで100円で買った)。

しかしこの本は電子化されているため、Kindle版であれば現在742円で読める。医者の主人公は、ロックダウンされた町の中で日々増え続ける患者と向き合い、変わりゆく町の様子を淡々と記録している。正直読みにくいと思った小説だ。エモーショナルな表現は少なく、業務日誌に近い。

ペスト(新潮文庫)

ペスト(新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 2017/03/10
  • メディア: Kindle版

他に読みたい本としては、『世界史』のマクニールが書いた『疫病と世界史』。歴史家の書いた歴史本であり、疫病の専門家ではなく、今役立つ本ではない。これまで疫病が歴史にどのような影響を与えたか、単純に興味がある。今後の参考にもなるかもしれない。こちらは在庫がなく、電子化もされていない。中古価格はやや高騰している。

「疫病と世界史」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

集英社の特集ページ、『コロナブルーを乗り越える本』では、感染症について学ぶ本だけでなく、今このタイミングで読みたい本が紹介されている。各方面から選者が集まっており、ライナップと紹介文を読むだけで楽しい。『コロナの時代の僕ら』も入っていた。

「家をせおって歩く」を読んだ

最近ネタ元がアトロクばかりだけど、「家をせおって歩く」を買った。村上慧さんという人が、発泡スチロールで作った家を背負って日本中を歩きまわった体験を絵本にしたもの。日本全国を1年ほどかけて周り、その後スウェーデンや韓国にも進出している。

まず、どういうこと?と思う。ビジュアルを見てみるとわかりやすい。犬小屋の底から足が突き出たような外見をしている。2枚目が写真。

発泡スチロール製である理由は、軽いことと断熱材として優秀だからだそうだ。この家は村上さんが自分で作り、歩く経験の中でつぎつぎと改良を加えている。これで1年かけて日本全国を歩き回ったって、やっぱりどういうことなんだろう?この外見を見て真っ先に思い起こすのは、安部公房の箱男だ。箱男を地で行っている。

村上さんが何をやっている人かというと、これが本職です。武蔵野美術大学を卒業した芸術家であり、この「家をせおって歩く」は、文字通り歩く現代アートなのだ。箱男のようなホームレスではない。いや、どの程度違いがあるのか、コンセプトの違いが大きい。村上さんは家をせおって歩きながらも、芸術家として生計を立てている。海外進出は、確か芸術祭に参加するためだった。

冗談ではなく、村上さんはこの「家をせおって歩く」をかなり真面目に、己の活動として実践されている。絵本では絵と写真をまじえて、1年の生活がどのようなものであったか、どんな場所でどう過ごしたか語られている。非常に興味深い、やりたい、できない、かっこいい。ここに思い至ったのがそもそもかっこいい。

ラジオでもその内容に軽く触れられています(音源あり)。

絵本は買って読んだけれど書籍の方は未読です。今はいったい何をされているのだろう?

http://satoshimurakami.net/

家をせおって歩く かんぜん版 (福音館の単行本)

家をせおって歩く かんぜん版 (福音館の単行本)

  • 作者:村上 慧
  • 発売日: 2019/03/06
  • メディア: 単行本

家をせおって歩いた

家をせおって歩いた

  • 作者:村上慧
  • 発売日: 2017/04/17
  • メディア: 単行本

箱男 (新潮文庫)

箱男 (新潮文庫)

KAWAZOI - 読書メーター

「国境なき医師団」になろう!を読んだ

医師も看護師も若い人も年配の人も、みんな自分の国にいたらもっと快適な生活がおくれるはずのなのに、治安も住環境も給料も条件の悪いところにわざわざ来て。気温40℃や50℃が当たり前で、美味しいものなんてなくて、そんなところに半年とか一年とか住んで。 P188

朝早く、チームは宿舎からオフィスまでばらばらと歩いて向かいます。重たいリュックを背負って一歩一歩、前を歩く仲間たちの背中を見ながら思ったんです。よくやるな、と。肌の色、目の色、髪の色、ばらばらの人たちがMSFの名のもとに集まって、緊急人道援助が必要な人たちのために働いている。自分がその一員であることを忘れるくらい見惚れてしまって、MSFはすごい組織だなとつくづく感心しました。 P189

国境なき医師団に入りたいわけではないけれど、どことなく小さな憧れがあった。ただでさえ人を助け命を救う医者という職業の人が、被災地や紛争地に出向いて自らの危険を顧みず活動している。

普通の医者として日本で働いていれば高給取りにもなれるのに、国境なき医師団はそんなにお金がもらえない。地位も約束されていない。見返りなく前線に出て人の命を救う人たち。わかりやすいヒーロー像だ。ある種別世界の人間である。

TBSラジオ・アトロクにゲストとしてきていたいとうせいこうが、「国境なき医師団」になろう!という自著の話をしていた。「なろう」とは?国境なき医師団のメンバーは、実はその半分近くがノンメディカル(非医療従事者)なのだ。つまり、医者や看護師、助産師、臨床心理士、薬剤師といった医療に関わる専門家ではなくても、国境なき医師団になれる。

ラジオ放送では現場を見てきたいとうせいこうが、わかりやすくおもしろく解説している。

  • どんな人がいるのか
  • どういう動機で参加するのか
  • 「国境なき医師団」になろう!を読もう
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「イスラム飲酒紀行」はヤバイ。書評・感想 

ドアを叩くと、ランニングシャツに腰巻という、これまた普通のベンガルスタイルのマルマの男性が現れた。この家の主人らしい。やはり無言のまま、私たちを中に招き入れた。どうにも「非合法」の雰囲気だ。 p303

タイトルからして「酒が禁止されているイスラム圏でパフォーマンスとして無理矢理酒を飲み歩く武勇伝」と思いがちだが、そういうダサヤンキー旅行記ではない。イスラム圏でも、実は酒が飲まれている。ムスリムが飲んでいるのだ。留学などで北米やヨーロッパに出てきたムスリムが、イスラム教で禁止されている酒に触れ、味を覚える、というのはよくある話だけど、まさか本国においても酒が飲まれていたとは!戒律ってなんなの!

  • ムスリムの本音がヤバイ!
  • 酒を求めすぎる高野さんがヤバイ!
  • 売られている場所がヤバイ!
  • 何が一番ヤバイか
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「高い城の男」書評・感想

初フィリップ・K・ディック。フィリップ・K・ディックの著書としては、映画「ブレードランナー」の原作である「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が有名だが、読んだことない。原作と映画の内容は全然別で、監督のリドリー・スコットは原作を全く読んでいなかったとか。「ブレードランナー」は見た。続編の「ブレードランナー2049」に至っては映画館に見に行った。他にも「トータル・リコール」「マイノリティ・レポート」など、有名な著作が映画化されている。

今回読んだ「高い城の男」は映画化こそされていないものの、Amazonプライムビデオにてドラマシリーズが配信され、現在シーズン3まで続いている。シーズン4で完結のうわさ。僕自身はドラマ化されたことでこの原作小説を知った。ドラマ自体は1話しか見ていないが、長く続いているということはわりかし評判なのだろう。

  • 世界観
  • たくさんの主人公
  • 易経
  • 「イナゴ身重く横たわる」
  • 感想
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「しょぼい起業で生きていく」は実現できるのか?書評・感想

「しょぼい起業」提唱者のえらいてんちょう(えらてん:@eraitencho ‏)さん著、「しょぼい起業で生きていく」を読んだ。まず、おもしろかった。phaさんの「ニートの歩き方」、伊藤洋志さんの「ナリワイをつくる」や大原扁理さんの「年収90万円で東京ハッピーライフ」「20代で隠居」、鶴見済さんの「0円で生きる」の派生型、延長上と言える。この手のジャンルは何ていうのだろう?Bライフ系とでも言えばいいのか。特徴としては競争社会に疲れた人たちが、世間の主流である資本主義に完全に寄り添う形ではなく、少し距離をおいて、経済的な成功以外の喜びを第一に楽しく生きていく道を探そう、みたいなそういう本にあたる。

僕はこの手の夢が広がる本が好きで「自分にもできるんじゃないか!?」なんて期待を胸にいだき、ついつい買って読んでしまう。「ニートの歩き方」は疲れ切った現代に向けた、新しい価値観の提示を主としていた。そして特にネットを主戦場とされているだけあって、ネットを介した流通や他者との関わりのヒントを示している。「ナリワイをつくる」は逆に、ネットではなく地域コミュニティを介した人との関わりと、具体的な手作業に根ざした仕事を通した、競争・効率主義的ではない生活様式を提唱していた。大原扁理さんの著書はまだ読めていない。鶴見済さんの「0円で生きる」は東京においてお金をかけずやりくりするための具体的なマニュアル本だったように思う。

「しょぼい起業で生きていく」が提示する生き方は、これまでともまた少し違う。「しょぼい起業」と言いながらも軌道に乗った著者は、全国チェーン展開のようなことまでしている。これまでの「飽くまで貧しく楽しく暮らす」系からは一歩抜き出た感じもある。「しょぼい起業」とは簡単に言えば自営業だ。それもお店を開くというわかりやすい自営業。

  • 「しょぼい起業」= 自営業?
  • 「しょぼい起業」の読みたくなる副題
    • 第1章 もう、嫌な仕事をするのはやめよう
    • 第2章「しょぼい起業」をはじめてみよう
    • 第3章「しょぼい店舗」を開いてみよう
    • 第4章「協力者」を集めよう
    • 第5章 しょぼい店舗を流行らせよう
    • 第6章「しょぼい起業」実例集
  • 「しょぼい起業」は実現可能か?
  • 僕の「しょぼい起業」案
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村上春樹の文章はなぜこんなに読みやすいのか

今、新潮文庫の村上春樹「雑文集」を読んでいる。つねづね思ってきたことだけど、村上春樹の文章は読みやすい。非常に読みやすい。なぜこんなにも読みやすいのだろう?村上春樹の文章は、食べ物で例えるとうどんだろうか。味が濃すぎるわけでも飲み込みづらいわけでもない。体調が悪いときだってツルッと完食できる。ダシがきいていて体に優しい。いつなんどき食べても喉を通る。村上春樹のエッセイは、小説よりもさらにその傾向が強い。精神的に余裕がないとき、難しい本とか映画とか摂取する気力がないときでも、村上春樹のエッセイなら気軽に手を出せる。咀嚼して、抵抗なく飲み込むことができる。これが他の本だとなかなかそうはいかない。ドストエフスキーなんて1ページももたず投げ出してしまう。ヘヘッ!!(フョードル・カラマーゾフ風)

その違いはなんだろうか。ドストエフスキーは翻訳だから、元の言語から変換されている分不自然な言葉遣いになっているということはあるだろう。時代背景も違う。文化的差異もある。そいうのを差し引いても、村上春樹の文章は読みやすい。同じ年代の日本語作家と比べたって読みやすいはずだ。おそらく。言葉遣いなのだろうか?村上春樹はときどき全然知らない言葉を使うから、簡単な言葉ばかり使っているということでもない。文章量だろうか?村上春樹は決して文章が短く簡潔というわけではない。長編に至っては上下巻あることも珍しくない。しかし、それでも物語がするすると前に進んでいく。長さを感じさせない。1Q84はさすがに長かったが。村上春樹の文章は軽快である。軽いのだ。粘着性がない。重みを感じない。大変なことを語っていても、下手すれば素通りする。しかしその軽さが、さくさく読み進めることができる理由だろう。

村上春樹は難しい言葉を使うこともあるけれど、文章そのものは平坦で引っかかりが少ない。飲み込みやすいとは、引っかかりが少なくすんなり飲み込んで消化できることを意味する。それが栄養分として吸収できるかどうかはともかく。村上春樹の文章に引っかかりが少ないのは、悪い言い方をすればまわりくどいからだろうか。いい言い方をすれば丁寧なのかもしれない。あたりを広く見渡して、情景をしっかりと描写する。それが回りくどいと感じる人だっているんじゃないか。しかしそんなものはサラッと読み進めることができ、わかりやすい情景だけが頭に残る。だから文章量が多くとも長くは感じない。読むことに体力を使わないのだ。

今読んでいる村上春樹の「雑文集」は、死んだ作家であれば書簡集になるような、人の本のあとがきだったりそういうものを集めた本だ。こんな本をわざわざ買うのは村上春樹ファンぐらいだろうか。そうでもない。どんなときだってお腹に優しい文章としてすんなり飲み込める村上春樹の本は、さながら病院食、おかゆのようである。旅行が好きでなくても旅物エッセイを読めばおもしろいだろう。「雨天炎天」とか。小説は好き嫌いがあると思う。「ノルウェイの森」とか。ファンだったらやっぱり「村上さんのところ」あたりも押さえているのか。僕が感想を書いている小説以外の村上春樹は、対談集は「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」ぐらい。

本題の、「村上春樹の文章はなぜこんなに読みやすいのか」答えがある人は教えてください。

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

KAWAZOI - 読書メーター

「行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険」感想・書評

まとめサイトから出版された本。旅行の気分を盛り上げるために買った旅モノで、一人の男性が冒険旅行に目覚める経緯と、その冒険譚を書き記したもの。少し前に話題になった。冒険とは言うが、体験に近い。何か具体的な目的があるわけでなく、この本でメインとなるのはモロッコを1000km移動することそのものを目的としている。何かものすごい場所に行くわけではなく、ものすごい物事を発見するわけでもなく、ただロバにリアカーを引かせて長距離歩くことがやりたかったらしい。こういうのを冒険と言うのか。自分の旅行者カテゴリでも冒険者に該当する。

  • そのやる気はどっから湧いてくるのだろう?
  • 生活の一部なのか
  • 「ペット好き」+「旅好き」には天国
  • web版は無料で読める
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今年読んだ本(2018)

端的に言って、本を読まない年だった。たった21冊。去年が45冊、一昨年が35冊であることを考えると極端に減っている。月一冊以上の計算にはなるが、序盤に集中しており後半はほとんど読んでいない。感想は6冊のみ。なぜこんなに本が読めなくなったのかというと、忙しくなって余裕がなくなったから。時間の余裕というよりは気持ちの余裕が。4月頃から著しくペースダウンした。そんな数少ない読んだ本の中から、一応今年も読んだ本をまとめよう。

  • 特に印象的だった本
    • ディアスポラ
  • 今年読んだ本
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冒険物語が好きだ

今に始まったことではないが、マンガ『スプリガン』を読み返していて「そうだよこれだよ俺が好きなやつは…」と改めて実感した。中でも御神苗優の父親である御神苗隆が冒険家として登場し、アメリカインディアンに混ざって儀式を守ったりしているのは理想的な姿だ。スプリガンを初めて読んだのは、確か映画化された頃だった。映画版は微妙だったが、パレンケの仮面、ノアの箱舟、水晶のドクロ、賢者の石、アンブロディアの種などオーパーツであったり考古学の話がたくさん出てくる本作は冒険心を燃えたぎらせる。

内容は世界中に散らばる超古代文明の遺跡やオーパーツを発掘し管理するアーカムという会社の物語。そこでスプリガンとして働く高校生の御神苗優が主人公。少年サンデーで連載していたから、オリハルコンを練り込んだ人工筋肉のアーマードマッスルスーツや獣人化するライカンスロープといった少年マンガ要素を交えつつ、軍事や歴史の話が繰り広げられ、少年がちょっと背伸びできる構成になっている。

冒険物語と言えば、みんな大好き『マスターキートン』が外せない。大人向けのスプリガンと言えるんじゃないだろうか。主人公、平賀キートン太一は考古学者として身を立てるべく大学の非常勤講師をやりながら、副業のロイズ保険組合調査員として世界各地を飛び回る。考古学の話ばかりではなく、探偵のような話や現代史の内容もたくさん出てくる。まさに歴史ヲタのためのマンガと言えるんじゃないだろうか。こんなふうに世界を飛び回りたいと誰もが思ったことだろう。

MASTERキートン 1 完全版 (ビッグコミックススペシャル)

MASTERキートン 1 完全版 (ビッグコミックススペシャル)

他に冒険物語として思いつくのが、リアル辺境作家の高野秀行、共通しているのは未知や神秘を追い求めているところだろう。こちらはノンフィクション。

映画はインディージョーンズなどが典型的だが、ちょっとファンタジー要素が強すぎるようにも思うし、いつもオチがあまり好きじゃない。他に未知や神秘を探求する冒険物語があったら教えてください。僕が旅行に惹かれたり、RPGを楽しく感じるのは同じ理由からだと思う。