人生をつまらなくしているのは私自身である

そういう見方も出来る。が、私本人から言わせればそうではない。人生がつまらないのは私が私であるからだ。私が意図的にそうしているわけではなく、また、そんな力もなく、ただ私が私であるだけで、人生はつまらなくなってしまうのだ。

なら、私を私でなくしてしまえば良いではないか。私が私である限り人生はつまらないが、私が私でなくなれば、人生はつまらなくなくなるかもしれない。自分を変える、とはそういうことだろう。そして、私は死んでしまい、私でない私が産まれ、私として生きる。その私がどんな人生を歩もうが、それをどう感じようが、今の私には知ったことではない。その私は、私ではないのだから。そうやって自分のこととか世の中のこととか世の中の中の自分のこととか考えていると顔が歪んでくる。

そもそも、自分を変えるなんて業は成しえるのか。例えば、私は環境適応能力が著しく低く、そのおかげで様々な損害を被ってきたわけですが、自分以外のせいにしてますが、そんなものを変える、治すなどといったことは出来うるのか。荒療治として様々な環境に居座るということは容易に想像できるが、慣れるどころかノイローゼになる自分も容易に想像できる。何があるんだろう。