映像の世紀

おそらく誰しもが、ただ思い起こすだけで
落涙する記憶を秘めているだろう。
決まって哀しい記憶であり、余程恵まれた人でない限りは、
生きてきて、抗いようのない別離や災難に、
苦悩した経験があるだろう。
身近な人の涙。
例えば、私は父が涙を流す姿を一度だけ見たことがある。
あの父が、涙を流す姿自体信じられなかった。
彼の苦を思うと労らなければならない気になる。
苦労は、過程になり、自らを育て、結果を作る。
しかしながら苦悩は、突然降ってきて、
どうすることも出来ず、深い傷と哀しみ以外残さない。
人の笑み、哀しみにあふれた笑み、
往来で、苦悶にむせび泣く人間、
種類は違えど同じ苦を知り、抱える人間同士であり
仲間であるような気になった。

映像の世紀を見るとそういった表情によく出会えた。
戦争、紛争、難民、虐殺、差別、ユダヤ人、黒人、
ベトナム人、ドイツ人、日本人、
同じ苦悶を浮かべ、顔をしかめ、泣いていた。
彼らの表情から浮かび上がる哀しみが
他人事とは思えなかった。