スクールカーストって聞いて中学生時代を振り返る

http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070430/p1
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070427/p1
これを読んでなんか少し、思い返してみた。
要は学校での、とりわけ中学生あたりでクラス内での自分の位置づけなどを気にしながら生活を送る話。スクールカーストって言葉が用いられている。上中下の層に別れていて、上は勉強が出来たりスポーツが出来たり顔が良くて、大抵全部出来る人が多いいわゆるモテ層。中は上には及ばないけど下には勝てるという自負を持ちつつも日々上に昇る野心を持ちつつ下に蹴落とされる危険に怯える中間層。下は見た目が悪かったり何処かひどく劣っていたりオタクだったりする非モテ層。自分らの時代はオタクの概念ってのがそれほど確立していなかったのでそれほどひどくなかったけれど、似たようなのはあった気がする。


自分はどうだっただろうな。言うまでもなく、上ではなかった。第一に自分は器量が悪い、運動能力は著しく劣っている。ただ頭は普通で、さらに言えば非コミュであった。位置的には中であっただろう。下層の受けた酷い仕打ちもそれほどなかったが、孤立はしていた。自分が上のエントリーで一番共感して、思えば今も引き摺っているのは、異性の話。

だけど、休み時間あたり、彼女は、友達といるときに「よくpal-9999なんかと話せるねー」と面と向かって言われていたんである。彼女は、何も言わなかった。ちょっとうつむいて下を向いただけだった。

で、それ以来、僕は、女の子とは、極力、話さないようにした。特にクラスでは。彼女達にとって、僕と話すことは不名誉の証らしいのだ。そもそも、これは、僕にとっても相当ショックだったし。対女性関係に関しては、中学校時代は、酷い劣等感を持っていた原因でもある。

中層の人間は上へ上がろうと、または自分の位置を保つために他を蹴落とそうと切磋琢磨している中で人のあら探しをする、とある。自分は下層の人間とコミュニケーションを取ってはいたが、仲の良い友人としてや、仲の良い異性としてのコミュニケーションは取らなかった。それは、悪い評判、自分の評価を下げる事を恐れていたから。もっと言えば、下層に蹴落とされ下層扱いを受けることを拒んでいた。下層の人間とのコミュニケーションが“粗”となってしまう恐れがあった。積極的に差別をした覚えはないが、そういう意味で消極的であった。また、願望としては上層の人間と付き合いたかったし、それで上層との人間関係が拡がることを望んだ。ただ、自分には能力がない上に非コミュで気が合わなかったので積極的になったことはなかったが。気が合わないと言えば、中層で下層であれ同じだった。自分には友人と呼べる人間は居なかっただろう。今もいない。学内における親しい付き合いというのは、男女関わらず未だかつて、最後まで無かった。非コミュの所以でもある。


今、彼女によく言う言葉がある。「俺なんかと一緒にいたら、自分の評価を下げるよ」「俺の悪い点を友達によく話してるけど、『そんな人と付き合ってる自分』の評価を下げるよ」
これらの言葉が彼女にあまり伝わらないのは、人間関係を築き維持するのに苦労しない上層であるからなんだろうと、思った。そして自分は、友人に見せる事が出来る、つまり自分の評価を下げない、或いは上げる女性だけが彼女であった。決して上層であること自体が魅力ではないし、それが目的でもない。が、結果を見ればそういうことになっている。町民が下賤の者と結婚しないように。貴族の家に入ることを憧れるように。


人の目を気にしすぎる、と言われた事はよくあり、これもその内に入っているかも知れないが、全ては恐怖が源泉となっている。恐怖、虐げられる恐怖、酷い仕打ち、荒んだ目、そこにいる虐げられている者に対しても恐怖を覚える。無力な人間は、自分の身を守ることを何よりも優先する。


自分が思うに、その上層や下層と仲良くなったのは、コミュ外であった気がする。周りに人がいるから目も気になり粗も気になり、何もしない。コミュ外では別である。人目はない。いわゆる上の彼女とは、コミュ外で仲良くなり、そこでの腕とか人間的魅力とか相性によっては、上層の彼女が出来る。コミュ外では人と仲良くなれる。1対1だけで話す機会というのは、偶然であったり必然で、度々起こる。特に事務的な場面で起こりやすい。事務的な場面では相手が誰であれ、話さなくてはならない。そして周りに人はいないとなれば、お互い、相手が中間であっても抵抗は少ない。事務作業の合間合間に、プライベートな会話への糸口があり、時と場合でそれを拾い、拡げ、コミュニケーションが成される。そうやって自分は人との繋がりを、コミュ外で持っていた。それも頻繁ではなかったけれど。自分が表では冷たい、裏では優しいって言われるのもそこから来ているのだろう。