隣人

満ち足りていたはずのあの人が、足りなそうな目をしていた。前向きな日々を過ごし、高い志を思わせる言葉を吐き、動き、声、顔つき、それらすべてにおいて、「今」やその「先」に向かう、こぼれ落ちそうな汗が感じられたにも関わらず、目、目の違和感に気づいた。
彼の目は、足りていなかった。足りないことに対して、諦めていた。戻ってきた救世主が、世界の現状を垣間見たあげく、世捨て人になったような目。生まれつき食べ物がないアフリカの難民が、空腹を受け入れ、餓えることも無く時間の流れるまま死に向かうような目だった。

大学に入り、1年が過ぎ、講義やアルバイトも定着してきたころ、僕は長年暮らし、うんざりしていたこの土地を出た。
地元では歩くたびに、見知った顔に出会い、そのたびにまた僕は密かに身を隠していた。気づかれないか、話しかけられないか恐れながら通り過ぎようとすると、目が合う。それは近所に住む隣人であったり、親戚であったり、または小学校、中学の同級生であったり、当時の友人であったり、顔だけ知っている者であったり、僕に対して少なからず、第一印象を、人によってはその次を既に持っている、知っている人々であった。そしてその人々は、既に持ち備えた印象によって僕を判断し、声をかけ、談笑し、嘲笑し、しかし、だいたいにおいてはその目つきだけによって無視をした。僕自身も同じ事をしていた。親しみもなく、言葉をかけるにも疲れを伴った。
同じ土地に長く住み、もう発展も衰退もなくなった時間をずっと過ごしていた。輪っかになったプールを延々と泳いでいるようで、このままここに留まることはとても気に病む事だった。

大学は隣の県の大学へ入った。電車で1時間かかる。僕自身にはお金はなく、同じく家にも、息子の一人を遊ばせておくほどの余裕は無かった。だから実家から通える大学でなくてはならなかった。地元の人たちは、あまり他府県に出て行く事をしなかった。地元で全て事足りていたわけではないが、落ち着いてそれ以上を求めないようにしていたのだろう。僕も他府県に出る事はそうそうなかった。観光行事ぐらいのもので、買い出しに出るとか、憧れて行き来するとか、そういった発想は無かった。
周りの多くの友人は、地元の大学に入り、地元の会社に就職し、地元で結婚し、一戸建てをローンで買い、子供を育て、死んでいった。そして一部の人は、私と同じようにうんざりしてか、明日の希望を夢見てか、大いなる志を胸にしてか、この土地を離れていった。
私にもその時期が訪れたのが、ちょうど入学して1年経った頃であった。隣県の大学では、自分の事を何一つ知らない人間と知り合うごとに、良くも悪くも地元での自分とは違った印象を植え付け、ゼミや同好会で交流した。地元で僕は、感情の抑揚が激しく、乾いた皮肉屋で、罵倒したり泣いたりいろいろな失敗をして育った。人に与えた印象は「冷たい」とか「おもしろい」とか「最低」とか「〜やって見せてとか」、見せ物のように捉えられていた事もあった。大学では、至極穏便に過ごすよう努めた。多くの時間を図書館で過ごし、読書や学問に時間を費やし、人への干渉はほどほどに済まし、干渉を受ける事もほとんどなく済んだ。決して楽しいものではなかったが、とても居心地が良かった。関心が無く、干渉がなく、印象も無い時間を孤独に過ごす事を覚え、長く留まった。それは、入学当時から始めた学校近くのアルバイト先でも同じ事だった。波を立てなければ気づかれる事は無く、干渉しなければ関係もなかった。学校でもアルバイト先でも学生たちは「〜の店行った?おいしかったよね、まだ行ってないの?」だとか「こんどあそこのケーキ食べに行こうよ」といった食べ物の話ばかりしていた。
地元に帰ることにうんざりした。家ではなるべく部屋から出なくなり、とても退屈した。前々からの、この土地を離れたいという気持ちは、隣県の大学へ通う事でより強くなった。同時に、今まで不可能だった一人暮らしも、アルバイト代金が貯まるに連れて可能となった。

大学入試の季節になり、僕は、遠くから引越してきて大学に通う事になるであろう新入生候補たちと同時期に、部屋を探す事となった。探すと言っても仲介屋に探してもらい、部屋を見て、たった1時間ほどで契約してしまった。仲介屋は学生であふれかえっており、一刻も早く一人ずつ捌いて利益をあげようと走り回っていた。僕は大学まで通い、帰っていた電車が苦痛だったので、歩いて通える距離に部屋を借りた。地元とは違って山や自然は全く無かったが、郊外で落ち着いていた。建物は12階建てで、1階あたり横に4戸並ぶ形に部屋があり、部屋は狭く、家賃は高かったが、建って間もない物で、不潔な陰鬱な感じは無かった。仲介屋の話では大学の人間が多く住んでいるという事だったが、騒がしい印象はまるで無く、周囲同様に建物も落ち着いてた。
部屋を決めると電気屋へ向かい、必要最低限な家電を選び、家具屋に行ってはテーブルと、小さな収納と小さな本棚を買った。布団やオーディオ機器やパソコンは実家に近い郵便局から郵送した。服や本、その他生活用品を少しずつ実家から運び出し、完全に移り住むまでは1週間ほどかかった。
引越が済んでからは、部屋と見知らぬ土地とで、多量の時間を過ごした。部屋では図書館と同じように過ごす事が多かったが、寝そべって何かを考え、書き留め、本を手に取り、寝返り、水を口に運ぶようなことは図書館で出来るはずも無く、物音と人目も無い分、部屋で過ごす方が楽だった。
移動は主に自転車で行った。近くの自転車屋で安い物を買い、そのまま乗って帰った。建物の1階には自転車置き場があり、既に一杯になっているところを横に向けたり奥に差し込んだりして毎回無理矢理とめていた。1階入り口やエレベーターで、同じ建物に住む人に会う事はとても少なかったが、この自転車置き場では時々遭遇した。よく、帰ってきた人と出て行く人が入れ違いで同じところにとめたりしていた。眼鏡をかけ、スーツを着た背が高く痩せた男性が帰ってきたと思うと、自転車置き場の入り口で待ち、僕が出て行くと奥に入ってとめていた。彼の自転車は大きく、灰色でカゴのついた、極めて一般的で汎用的な非常に良く見かける型のものだった。かなり古く傷んでおり、何年も使い回されてきたように見えたので、中古かもしれない。彼とは近くや廊下ですれ違った事も無かった。誰が何階の住人か、だとか、建物内で挨拶を交わす事はあっても、すれ違う人がお互い関心を持ち合うことは、誰もなかったのではないだろうか。

大学では金融を専攻していたが、多くの学生が就職までの引き延ばしに通うような大学だったので大それたものではなく、学業に取り組む学生も少なく、まともに通わなくてもほとんどが卒業できた。僕が図書館や講義で学んでいたのも趣味程度であり、頭に蓄積されるほどの事は何一つなく、見て聞いて読んで知って驚いたらそれで終わりだった。僕は、図書館で行動ファイナンス論の本を手に取った。2、30ページほど読んで閉じ、借りる手続きを済ませてから外へ出た。学校の近くにある定食屋へ寄って夕食を済ませ、自転車で帰宅した。向こうから今朝の男が、あの古い自転車に乗って、同じく帰ってきた。
「どうぞ」
男は手を差し出して、自転車置き場の方向へ向けた。
「すみません」
僕は自転車から降り、引きながら中へと入った。続いて男も後ろから自転車をとめにきた。自転車置き場は朝よりも空いており、とめる場所はいくつも空いていたので真ん中あたりにとめ、エレベーターへと向かった。エレベーターのボタンを押し、降りてくるのを待っていると、男もエレベーターの前に着いた。僕と男は無言でエレベーターを待ち、降りてくると中へ入り、4階を押した。男は階数のボタンを確認して押さなかった。男は背が180cmぐらいで歳は30前後だろう、体は痩せていたが、印象としてはがっしりしている。朝と同じように眼鏡をかけ、スーツを着て、革の鞄を手に提げていた。凹凸のはっきりした顔で目が細く、眉が薄く、顎もがっしりしていた。髭のそり跡から髭も薄い事が伺えた。
エレベーターはすぐ4階に着き、開くと僕は廊下に出た。男も後に続いた。僕は自分の部屋のドアの前まで歩き、鞄の中で鍵を探していた。さっきの男は目の前に居た。なにをしているのだろうと気になったが、鍵が見つかり、開けて中へと入った。男は僕が中に入るのを待っていたのだろう。ここの廊下はひどく狭く、ドアを開けると人が通れない。僕の部屋の奥には一つしか部屋がない。男は隣人だった。この1棟には、少なくとも48人が住んでいる。そのうちの誰一人として知らず、特定もしていなかったが、僕がここからまた引越すまで、まともに知り合い、それどころか親密になったのはこの隣人が最初で最後であった。