ヨーロッパにおけるカフェ文化について

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ミレニアムを先日読んだ時に思ったのは、ヨーロッパにおいてカフェ文化が定着しているということ。日本ではあまり見られない。
ミカエル・ブルムクヴィストやその他街の人々がクヴァーネンというカフェというかカフェバーに出入りしている描写が自然だった。
ヘーデスタに滞在していた時も真っ先にカフェを見つけ、毎日そこへ通っては朝食を摂り、時には夕方まで仕事をしていた。

マスターキートンを読んでいた時も、ヨーロッパの描写では自然に行きつけのカフェが出てくる。若者から老人まで、ほぼ毎日自然にカフェに通っている。日本ではそもそもそんなゆとりがない。専業主婦は知らないけど。
wikipediaによると、ヨーロッパにおいてのカフェ文化は意外と新しいようだ。オスマン帝国からウィーンへ伝わり、フランスで広まったそうな。芸術家のサロンという趣が強かったみたい。
カフェ-wikipedia
日本で定着しない理由として思いつくのが、物価が高いこと。店員雇うのも高くて単価も高ければ、コーヒーも高くなり毎日通うには金銭的に厳しい。ではヨーロッパのカフェにおいてコーヒー1杯は高いのだろうか。国によって物価も違えば店によってもピンキリだとは思うが、一つ参考に調べてみた。
地球の歩き方-パリ特派員ブロ
1.3〜3ユーロだそうだ。安いっちゃあ安いか。あまり変わらない。
商業文化の違い。フランスでは客より店員の方が偉いというのを聞いたことがある。もらう側より与える側の立場が強いというのは例え対価を払うとしても普通の事だと思うが、なぜか日本では客の方が偉いという逆のことが起こっている。需給バランスと商業主義のせいだとは思う。
店員の方が偉いとまでは行かなくても、大抵は対等な関係で、利潤第一に考えていないからコーヒー1杯で何時間居座るとか、店も客もそんなことについて考えない。回転率で利潤確保とかそういう計算もしない。そして対等な関係として気兼ねなく通うことが出来る。顧客満足度経営どうこう言ってる人は本音の利益追求を見直すべき。それが返って顧客を遠ざけ利益を減らしているのではないか。いや、僕はフランスに住んでいたわけではないので本当のところは知りません。
日本の店では狭い土地に席数を確保するために一人あたりのスペースが狭すぎる。ギュウギュウ詰めの満員電車状態。ゆとりがない。長時間居よう、通おうという気になれない。ただ、日本は先にあげた物価が高い、人件費が高い事と併せて地価も高い。店側としては維持するためだけの経営も苦しい。どうしても高い利益目標が必要になる。
日本の黒歴史としては、カフェが一時期風俗店の役割を果たしていた。風俗店をカフェと呼んでいたというか、そういう時代が昭和初期にあった。
日本においては時代劇に出てくるような茶店(ちゃみせ)が歴史的にも似たようなもんかもしれない。街中や旅の中継地にあり、宿泊もできるというような。今ではあまり聞かないけど。そういうのが再興できたらいいなあ。
そういえば少し前ベルリンのカフェを紹介しているブログがあってかっこよかった。
BERLINのカフェ -tomy blogs