人間以下の扱い

人間を物や道具のように扱う奴隷や、互いの人格を無視して欲求の捌け口として扱う売春など、他人に対して、一度そういう人間以下の扱いをしてしまうと、歯止めが利かなくなりそうで怖い。

良くも悪くも人間を人間として扱っているうちは、相手が人間であるというだけで一定の歯止めが利く。人間であるうちは人間以下の扱いをしないだろう。それが、人間に対して人間以下の扱いをし出すと、その扱いにおける境界線というのは人間であるか否か、という点では測れなくなり、人間に対して、人間扱いをするか人間以下の扱いをするかの基準が曖昧になるのだ。人間以上に対してもそうだ。人間を神と崇めるのはおかしいように、神は神だからこそ神と崇めるのだ。人間であれば人間扱いした方がいい。そうでないと、人間か神か、もしくは人間以下かなんて、基準はなくなってしまう。

たとえば、売春について。僕は女を買ってしまうと、その見境が曖昧になってしまう気がする。

売春という行為は、親しくもない見ず知らずの他人同士が、約束を元に、性行為もしくは擬似性行為を行うわけだが、これがそんなに簡単に行えてしまうと、異性に対する見方というのが変ってしまわないだろうか。相手が売春婦でなくとも、「欲求の捌け口の対象」という目線が出来上がってはいないだろうか。その目線に、果たして相手を同じ人間として扱う、尊重は含まれているだろうか。

売春婦だけに限定して、その目線が許されるだろうか。売春婦も人間として尊重しているだろうか。そして、相手を限定することは出来るだろうか。

外国人だから、とか、ブサイクだから、とか、女だからとか、普遍性のない理由で人間を人間として扱わなくなると、人間を人間として扱う際の基準が曖昧になり、誰をどう扱う、というのは全てにおいて非人間的になりかねない。

であれば、人間が人間であるということは、確かな事なのだろうか。