退職日記2

退職にあたり、根本的なことは今までに書いたけれど、具体的に整理しておきたい。
会社へ提出用の辞表は、書き方などを調べ参考にするとして、その内容の元になるものをここでまとめよう。それをそのまま提出用に載せることはないが。

退職理由:要望に応えられない

雇用契約があり会社からの要望に則した形で我々労働者は雇用されている。
会社からの要望というのは、まず、利益を上げること。
僕は、課せられた目標というのをいつも達成できずに終わっていた。高い目標ではありながら、周りの人はなんとか達成する。中でも優秀な結果を残した人は表彰されたりする。同期の人間でも既に何人か表彰されている。後輩にもいる。
まず利益という一番大切な点において、僕は要望に応えられていない。運が良い時、悪い時というのはあるが、何年も続いている。 

お荷物であり、足手まといである。そういう人間は、一刻も早く会社を去るべきだと思う。首になってもおかしくない。
僕は仕事の効率が悪い。仕事の進め方は人によって3つパターンがあることに気づいた。
パターン1:賢い人

この人は頭の回転が早く、身体の動きも速く、テキパキとしており、無駄がない。
仕事をスピーディーに最短距離でこなすことができるため、より多くの仕事を達成し、より多くの成果を上げる。昔の上司がそのタイプだった。 

パターン2:狡賢い人
この人は、仕事を飛ばす。悪い言い方をすると、手を抜く。良い言い方をすると、要領がいい。
ルール通りに進まず、各所の煩わしい事をスルーする。仕事には必ず、リスクヘッジのための仕事であったり、この作業は本当に必要か?というような事や、仕事をするための仕事というのがある。無駄な作業だと思うが、一部必要な事でもあり、一部はルールとして残っている。この人はそれらを全部飛ばす。簡単に言うと、嘘を書く。
外側から見れば、人より多くの仕事をこなせる。利益も多く上がる。
たまにボロが出て問題になるが、慣れてくるに連れ、この手の抜き方に長けてくる。万が一の場合でも、嘘がばれないように、または他人に責任をなすりつけてやり過ごす。 
パターン3:できない人
僕はこれだ。頭が悪く、要領も悪い。時間もかかる。できない人の中でも、2種類いる。ちゃんとやろうとする人、彼は多くの時間がかかり、こなせない。手を抜こうとする人、彼は、失敗する。どちらも同じ出来ない人だから、分ける意味はない。 
仕事が出来ると言われる人は、大抵がクレバーな人ではないだろうか。というのも、スマートもいるにはいるが、絶対数が少ない。
スマートにはなろうと思ってもなれない。本人の頭の良さに左右される。だから、最初スマートを目指していた人も、大半はある時期が来るとクレバーに差し掛かる。スマートになれず、それでも結果を出すためにクレバーになろうとする。初めからクレバーの人もいる。
クレバーだって、皆が皆なれるわけではない。クレバーになれない人は、倫理観の固い人か、本当に頭が悪い人のどちらかだと思う。 
僕も、初めはやはりスマートに憧れた。というのも、身の回りにスマートが多かった。その環境では、周りはスマートだから、嘘をつく、間違ったことをするというのは、失敗するよりも罪深いという意識が蔓延していた。
スマートな人間が、クレバーになればより仕事が出来るのに、彼らはそこを頑なに守る。クレバーな仕事の仕方自体に抵抗がある。スマートは己の倫理観を持って、スマートなやり方を貫く。 
僕はちゃんとやっていたが、頭が悪かったので仕事が回らなかった。どんどん仕事が流れていった。そのうち、「仕事が遅い」では済まなくなった。
成果が出ず、機会を逃している。クレバーになれと、暗に言われたりもした。そして、嘘をつきだした。仕事を回すために、クレバーになろうとした。失敗はしなかったが、耐えられなかった。嘘をつくということに。そんなことまでして、倫理観を曲げてやる仕事に価値が有るのか。それは、まかり間違えば詐欺と同じではないか。
それは、普通ならば割り切ることだろう。物事には体裁がある。現実はどうであれ、建前を取り繕い、見栄えが良ければそれでいい。結果さえ良ければ、あとは見えない範囲でやってくれ、というのがある。それも許せなかった。
言い換えれば、その嘘は、個人の責任のもとに行われた悪事とみなされることになる。それが例え会社のためにやったことであっても、会社の指示に従ってやったことではない。飽くまで個人の裁量の元で判断されている。会社はわかっていてもそんな指示は出さない。身を守る。客も同じだ。そちらでうまいことやってくれ、という無責任な言葉を吐く。客だから当然だ。
希望を言えば、会社はいっその事そういう指示を出すか、結果が出なくても潔癖を貫くか、どちらかの立場であって欲しかった。現実にそんなことはありえない。
中にはまれに、スマートでもクレバーでもなく、忍耐と努力と根性で、これを克服する人がいる。人に怒られ、バカにされても、耐える。やりぬく。そして結果を出す。そういう先輩もいた。すごいと思った。同時にそうはなれないと思った。
とにかく僕は結果を出せなかった。

退職理由:体調不良

クレバーにもなれず、スマートには当然なれない。頑張れば頑張るほど、自分は何をやっているんだろうという気になり、帰る時間は遅くなり、体調は日に日に悪くなった。
仕事はミスが多くなった。更に仕事は遅くなった。終電か、それ以降タクシーで帰る日々が続き、家に帰っても食事を取らず、風呂に入る気力もなく、眠れないためバーボンとタバコをあおり、寝ても何度も目覚め、会社では何度もトイレに通った。休みの日は、ずっと布団から出ることが出来なかった。僕は自分の限界を感じた。 
ある日、このまま家に帰ったら次の日の朝には起きれないかもしれないと感じた。僕の身の回りには、病気になった人、鬱病で会社を辞めた人、そういう事例がたくさんあったから、これかな、と思った。僕は有給を取った。
有給の次の日は会社に出た。「顔色が悪い」「元気がない」と口々に言われた。わかっていた。当然だった。自分は限界だった。
人は、ストレスを経験して、ストレスに強くなり、人間として強くなっていく。ストレス耐性というのは、やりようによってはどんどんつけていくことが出来る。筋肉のように、負荷をかけ、負荷をかけ、自分をどんどん鍛えていくことも出来る。
そして、そこにはやはり、筋肉と同様に個人差があり、限界がある。急激な負荷は、二度と元には戻れないほどの筋肉の断裂を起こす。過度な負荷は、筋肉の収縮に繋がる。人は、無限大ではない。
人にはストレス耐性に差がある。こんなもんで、この程度で、というのは、耐えられる人は耐えられるし、僕には無理だったというだけになる。自分のストレス耐性を見極める必要がある。どこまでがんばれるか、どこまでが限界か。見極めを誤ると、病気になったり死んだり、手遅れになる。
僕はずっと孤独だったこともあり、他人よりも、自分と向き合う時間が長かったため、人よりも自分自身の限界についてよく知っているつもりでいた。これ以上は無理だと思った。