僕の人生はどうなるんだろうという気持ちと、どうなってもいいやという気持ち

来月から無職だ。失業者であり、お金の供給が止まる。短くても1年は、貯めたお金を切り崩して生活する。事故や病気にかかれば一発だ。それでなくても、急にお金がいるようになれば、そこで寿命が縮む。

僕に将来はなくなった。何歳まで生きられるだろうか。目の前にあるのは、餓えと貧困の予想図、それに自ら飛び込んだ。

僕は生来物事を前向きに考える事がない。可能性というのは信じていない。必然しか。

来年からカナダに渡るが、何も起こらなければ、1年半後にそのまま帰国する。その先は、オーストラリアへ1年行くかもしれない。運がよければ、青年海外協力隊へ2年行くかもしれない。

僕の人生プランはせいぜいそこまでしかない。長くて3年後まで。それも、その通りにいくかどうかはわからない。

仮にその日まで生きる事ができたとして、その後どうしようか。今まで、先を見据えて何かをしてきたことはなく、今後することもない。その時僕はもう30代だ。何も持たない、何も残していない30代の男が独りそこにいる。何もない。僕には何もない。当然金はない。技術も知識も、資格も経験も人脈も何も。その頃には若さも無い。

でも、どうでもいいかなあと思う。あえて死のうとも考えない。その立場に立つ日のことは、今でも想像できる。自分の将来を嘆くことも、後悔することもなく、もちろん目の前に広がる無限の自由と不自由に希望を膨らませることも無い。外国で培った経験と人間関係で、今後の未来に夢を広げる、なんてことは僕には無い。今までと同じように、なんとなく生きるのだろう。底辺を這いずり回って。

それは楽観ではない。悲観でもない。なんだろう。達観?いや、諦観か。
なるようには、ならない。どうにもならない。それを受け入れる。それでいい。
それでも僕は決断した。それでも僕は行動する。 

その後どうしようかな。