劇的紀行 深夜特急を見終わった

劇的紀行 深夜特急 [DVD]

劇的紀行 深夜特急 [DVD]

 

DVDとはあまり関係のない話。

劇的紀行深夜特急を見終わった。旅を終えて日本へ向かう大沢たかお扮する沢木耕太郎を見ていて、侘しい気持ちになった。
本もドラマも追体験、というのかロールプレイであり、自分が旅に出て、旅慣れてゆき、かつてほどの新鮮味や驚き、発見を見出せない感傷がなんとなく伝わった。
僕は旅に出ていないけれど、東南アジアに3ヶ国行って、最初に行ったヴェトナムほどの感激を、後の2国ではそう感じられなくなっていたのを思い出し、似ていると思った(だから今度は一箇所に長期滞在してみようと思っている)。

感じた侘しさは他にもある。かつて僕の周りにいた人たちは、たいていが会社勤めで結婚しており、子供を産み育てている。そういう年齢になっている。もしかしたら、自分にもそういう生活があったのかなと、いまさらふと、思った。会社勤めで、家族がいて子供がいて、同じ仲間がいて。

よくよく考えればあるわけがない。僕はそういう生活に入り込めなかったから今ここにいる。相容れないと初めからわかっていたのにもかかわらず、一度中に入り、やはり無理だったから出てきた。それは、入り口の門に辿り着く前の夢想となんら変わらない。今の自分は、身を持って答えを知っている。アホな考えだった。
今僕がいるのは門の出口で、塀の内側にあった街を名残惜しんでいるだけなのだろう。相容れなかった異世界を。だから、入り口の外にいた頃の孤独感と、門から出た今の孤独感を重ね合わせて思い起こしているに過ぎない。中で味わった違和感を差し置いて。

深夜特急の大沢たかおには帰るところがあり、僕には無いというだけ。それがただ自分の孤独感として沸き起こった。このままこうやって、ずっと何年だか十何年だか、一人で生きていけるか不安になった。でも現実は逆だった。
自分は一人でしかいられず、一人でしか生きられない。一人でも生きていけないかもしれない。でもそれは、人と居れば尚、生きられないことを指す。そんな現実と矛盾する自分の感情から、足元がふらふらしているのだろう。寄るべきものは自分しかない。その自分がこんなに無力で、不安定だなんて。

故郷を持たないことは、それなりに辛いことであるような気がしてきた。これからどうにかして、自分の身をさらけ出し、自分の足を支えていくしかない。自分は誰かと情報共有したかったのだろうか。でも、仲間が欲しいのか考えてみたら、それも違った。彼らを見て共感することはあっても、自分も彼らも手を取り合おうなんて考えは浮かばなかった。情報の共有が出来ても、同じようで、各々別の考えを持って、別々の道を歩んでいる。並んで歩くことはあっても、交差することはない。

そんな無駄な感傷に浸る暇があったら、もっと自分自身を形作っていかないと。形のない、何者でもない匿名の自分から。そのためには動く。その日その日、思い立った方向にふらふらと動き回るしかない。