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空港は小さなものだった。出国した関西国際空港や乗り継いだ香港国際空港より、ずっと小さなものだった。飛行機から伸びていた通路は薄く、それがそのまま続くように空港の壁も薄く感じられた。外観は空港というよりも町工場のようで、色はくすんでおり、中は人口の少ない地方の役場を思い起こさせた。人が少なく、病院か学校のような床にイスが並べられただけの殺風景なつくりだった。
入国は、同じく役場にあるような事務机で行われた。机に座る男は40代ぐらいだろうか。濃い眉と、整えられたヒゲが印象的だ。ベレー帽を被っており、半袖のややくたびれた青いシャツを着ている。制服というわけではなさそうだ。フォーマルではあるけれど、ゆったりした印象もある。男はこちらに目線を向けることもなく、なにやら短く音を発していた。それは熱帯の森で鳥が出すような音に聞こえた。僕はトートバッグからパスポートと目的地をマークした地図を取り出し事務机に置いた。彼はパスポートをめくり、スタンプを押して返し、また何かの音を発した。パスポートと地図を机から拾い上げ、歩きながらトートバッグにしまった。

入国したと言っても事務机の前を通り過ぎただけで景色は変わらない。イスとトイレの表示とその先に下に降りる階段があるだけだ。振り返れば、窓の外には僕が乗ってきた飛行機が見える。その一機だけが。

階段を降りると暑くなっていることに気づいた。遠く見える前方の突き当りが全面出入口となっていた。ドアはなく、柱だけになっており開放されていた。外は日差しが強いようで、フロア全体が逆光で暗く感じた。1階も相変わらずガランとしていた。一人の女性が中央に並ぶベンチに座っている。何かを待っているのか、微動だにしない中年の女性。頭に頭巾のようなものを被っている。この土地の女性なのだろうか。壁際には、木の事務机に座り、退屈そうに紙を読む女の子がいる。この子もシャツを着ているから職員なのだろうか。僕はその机の前まで歩いた。

「両替は、どこでできますか」

僕はドル紙幣を数枚見せ、人差し指と親指を左右に交差させ両替を伝えようとした。少女は読んでいた紙を机の下に置き、目をこちらに向けた。白目が広く、中の黒目も大きい。その目が下から上に大きく動いただけで、表情は何も語っていなかった。女の子は後ろを振り向き、床に置かれた箱の中から一枚のフダを取り出し、机に置いた。これはどう見ても紙幣ではない。何かを買う客と間違われたのだろうか。

「そうじゃなくて、お金を交換する場所なんだけど」

僕はドル紙幣を片手に、両手を胸の前で行き来させて交換のジェスチャーをしてみた。
少女はその動きも見えていないのか、先ほどのようにこちらの目だけを見上げていた。僕はその無反応さにどうしていいかわからず、机に置かれたフダを手に取った。黄ばんだ紙で、黒く太い枠が縁取られている。内側には緑や青のインクで、幾何学模様なのか文字なのかわからないものが描かれている。裏向けてみると、びっしりと幾何学模様が詰まっていた。そのフダを元に戻すと、少女はフダを指差した。指差した部分には楕円があった。何を伝えようとしているのだろう。少女は無言のままだった。

「これは、いくらなの。5ドルぐらいでいいのかな。」

僕は5ドル紙幣を差し出した。少女はまだ僕の方を見ていた。同じように楕円を指差していた。僕は紙幣を木の机の上に置き、フダを貰おうとした。少女は服の中から何かを取り出した。先ほどと同じフダのようだ。それを机の上に置いた。そして、先ほどのようにフダを指差した。そこには同じ楕円があり、楕円の上から丸い渦のような模様がいくつか繋がって描かれていた。少女はさした指を胸に当てた。そこにある2枚のフダ。最初に置かれた物と、少女が今取り出した物は、同じフダだった。楕円の中を除いては。

少女が持っていた楕円の中には丸い渦が描かれていた。そして、少女は自らの胸に当てた。これは、名前なのだろうか。

少女は後に取り出した方のフダをまた服の中にしまった。残ったフダの楕円を指差し、その指を僕に向けた。

名前を書けということか。僕がトートバッグを開けて中を見ると、少女はペンを机に置いた。僕はそのペンを借り、楕円の中に名前を書いた。ペンを返し、フダを取ると、少女は紙幣をつまみ、僕に返してきた。お金はいらないのか。これは売り物ではないのか。何か手続きのようなものなのか。僕は紙幣を受け取った。

「ありがとう」

「どういたしまして」

そう言われた気がした。僕は空港の外に出た。

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