毒にしかならない人生論

僕が君を助けることはできないし、僕が君の糧になることも無いだろう。
つくづく僕は人生を楽しむ術を知らないなあと感じた。物事を難しく複雑に捉えることをやめ、自由に簡単に気ままに過ごす方法はないのか。それが良いことなのか悪いことなのか、良い悪いってなんだ。

何をすればいい、何をしたい、何も思い浮かばない。それらは、本当に考えるべきことなのだろうか。あまりにも人生について考えすぎているように思う。「気楽に行こうよ」とは言うが、気楽に行ける人は言うまでもない言葉だったりする。ありのままに、目の前にある一歩を道なりに歩いて行くしかないのかもしれない。「何がしたい」なんて探そうと思って見つかるものなのだろうか。人からの評価、能力、友達、女、金、世の中に蠢くのはこういった愛憎ばかりだ。生きることはとてつもない。将来を真面目に、とか、人生に向き合うというのは考えることではない。行動することでもない。ではなんだろう。結果を出すことだ。仕事、学業、結婚、子供を持つこと、移住、生活。行動は結果を生まない。結果はあるべくして導かれる。それが忍耐か努力か、楽しんでか出会いのきっかけでか、それとも自らの強い意志でか。

大学の時に英語を教えていた日系ハワイアンの先生をよく思い出す。「私が若い時は最悪でした。毎日無意味な時間を過ごしてマリファナばかり吸っていました。でも日本に来て変わった。日本に行こうとして変わった。自分は英語しか話せなかったが日本語を勉強し、今こうやって日本人と同じように話せるようになり、そして大学で日本人に向けて英語を教えている。あの頃とは違って有意義な時間を過ごせるようになった。ハワイは暖かくて自由で気ままなだけで、あそこでは毎日堕落した生活を送っていた。」

自分は子供の頃からずっとメンタルが弱すぎる。空手をやったり塾に通ったり進学コースへ行ったり、飲食のバイトをしたり肉体労働をしたり、オフィスワークも経験したりして心身共に鍛えようと思ったけれど、うまくいかなかった。今外国に来ていても、何も変わらない。人は変わらない。何かのきっかけで変えることが出来る人というのは元々素養があるか、恵まれているか、その時たまたま悪かっただけなんじゃないかと思う。自分を変えようというよりは、変わらないなりにどうにかするしかない。

偶然podcastで聞いた、ベトナムで働いている日本人の人のことも思い出す。「大学を卒業した後就職したんですが、クビになったんですよ。会社が潰れそうってことで新しい人からクビになっていったんです。僕は社会ってもっと合理的に回っているもんだと思っていました。自分より明らかにいらない人が高い給料をもらっていたのにクビになったのは僕だったんです。その後縁があってベトナムに行くことになりました。フエに住んでいまして、ここの大学で日本語を教えています。当時僕は英語もベトナム語も話せなかったんですが、そういう人こそ講師になってほしいってことで、逆に日本語しか話せないほうがよかったみたいです。でもその給料って月1万ぐらいしかなくて生活できなかったから、観光ガイドをしたりして月10万ぐらいでなんとかやっています。」

世界直送インタビュー~なるほど海外暮らし旅~

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僕が外国へ旅行しだしてから聴き始めたpodcastで、いつも楽しみにしていたけれどもう終わった。その後も人や趣向を変えて別のが続いているけれど、あまり聞く気にはなれない。あれを聞いて僕は他の国にもいろいろ行きたいと思った。あの時間は僕一人の時間だったけれど、とても充実していた。他にも出てきた人で、マッキンリーに一人で登った人の話が面白かった。マッキンリーの前は六甲山で、ほぼ素人。天候かなんかの理由でリタイアしたそうだけど、その気ままな感じがとてもよかった。その人のブログはここです。旅人手帳blog今はグアテマラにいるそうだ。自分でもpodcastをされている。

こういう人たちのように人に夢を与えることなんて僕にはできない。なぜなら僕自身が夢を明るさを、楽しさを持っていない。自分の中には悪いことしかない。自分の吐き出すものは負の感情でしかなく、それが仮に人に影響を与えたとしても良いものでないことは確かだ。人に夢を与えることに憧れはしても、それはできない。嘘は吐けない。夢を打ち砕くことしかできない。

自分は変わらなくても、人生は決まっていない。変わるというより、道筋は無い。自分の人生がどのような方向に進むかは、自分がどういう人間でろうともあちこちバラバラに進んでいくのだろう。