差別に関して思ったこと

日本にいるのはほとんどが日本人だから、日本人だけで世界が成り立っているような錯覚に陥る。という程のことはないけれど、日本に住んでいれば外国語を話す外国人たちのリアルな生活、考え方というものについて、知ったり実感したり考えたりする機会がない。あったとしても、それは我々の実生活から解離したファンタジーの一種として存在する。だから、外国人の考え方、習慣に触れた時、「感覚の違い」というものに驚かされる。例えば差別について、先日もANAのCMについて議論があった。

外国人は「人種差別」と言い過ぎ?海外の反応 - 海外の反応 もぐもぐスコップ

日本人的には、「それってただの好みなんじゃないの?」と思うこともある。例えばこっちに住んでいると、アジアンはアジアン同士でつるむことが多い。そして僕が白人の人と話していて、「アジアンは白人に人気ないよね」なんて言ったら"I'm not racist"と返ってきた。いやいやいや、白人がアジアンとつるまずに白人同士で仲良くやっていたとしても別に差別主義者だなんて思わないから。何でもかんでも差別だとかレイシストだとか言って判断してしまうのは違うんじゃないか。

例えば、韓国と同じ距離にフランスがあり、同じ物価だったとすると誰も韓国には行かないだろう。それはただフランスが韓国に比べて食事や文化、芸術、歴史的建造物など全てにおいて魅力的であるだけであり、韓国差別ではない。僕はフランスにも韓国にも行ったことがないので、これはただの例にすぎない。フランスを選んだのは旅行先として世界中から一番人気があると聞いたことがあるから。

黒人が嫌いとかゲイが嫌いだってのは単なる好みの問題であって、差別的意識および行動というのはその先にあるもんだろう。その人の趣味嗜好さえも差別問題で取り扱ってしまうのは逆に問題あるんじゃないか。歴史的経緯があるのは理解しているが、デブがタイプじゃないとか、背が低い人とは付き合えないってのと同じことだろう。それが差別になるのかっていうと、まあならないんじゃないか。だってタイプじゃないんだから。

しかしながら、デブにしてもチビにしてもハゲにしても、黄色人種でもゲイでも、その性質を嫌いだと公言されて喜ぶ人はいない。それが理由で嫌がらせをするなどということは論外だけど、ただの好みの問題であったとしても、それらの性質が自分の趣味ではないということを公言憚る状況というのは、実はお互いに住みよい社会なのかもしれない。興味がなければ関わらなければいいだけの話なんだから。

その結果、実態として表面と内側の分化が進んでいるのかもしれない。差別差別と煽ることにより、表面上は安定している。内側はどうなのか全くわからない。いや僕に関しては全く被害者意識なんてものはないんだけど、差別についてはもっと知らないといけない。