これから2年日本を離れる思うと複雑な気持ちだ

本当にそうなるかわからないけれど、予定ではこれから短くても2年日本を離れることになる。半年ぶりにたった10日間だけ日本に帰ってきて、暇で退屈ですぐに離れたいと思った。いざ離れるとなると、しかも2年帰らないと思うとかなり複雑な心境だ。親が倒れたりすれば普通に戻ってくるだろうが。

これからどうするんだろう俺。ちょうど半年前にトロントへ行った時に書いた日記を読み返してみる。

旅立ちの時 - Letter from Kyoto

どうも今と同じような心境だったらしい。あれから半年が経ち、何一つ変わっていない。少なくとも英語は話せるようになったか?なっていない。何か人生の目標はみつけたか?そんなものあるわけがない。

ゴール

トロントでラリーというブルガリアから来た男に「ゴールはなんだ?」と聞かれ、答えに戸惑った。ゴールなんかない。僕はそう答えた。彼は僕以上に戸惑っていた。
「そんな大げさなものじゃなくてもいいんだ。例えば俺は夏の間に美人の彼女をつくり、いい仕事について金を稼いで来年は日本を旅行しようと思う。その程度の話さ。」
それでもやはり僕にはゴールなんてなかった。

奈落

夢も目標も、希望も展望もない、言い出せばきりがない、要するに何もない。そういうのは、僕はせいぜい高校生ぐらいまでに持つものだと思っていた。僕はもう中年の入り口だ。同時に全てを失っている。目の前に広がるは奈落。踏み外せば死ぬだけ。人生を楽観的に考えることができる人が羨ましくてしょうがない。どんな状況にいても、僕は目の前の現実に面と向かって取り組めば不安で発狂しそうになる。前を見ないように、足元を見ないようにして、まるで目隠しをしているかのような状態でその場に立ちすくんできた。

以前に「英語を身につけるには、身につけざるを得ない環境に自分を置くしかない」という意見を目にしたが、僕は実際そういう状況において毎日ストレスで押し潰されそうになり、結局離脱した。対処法というのはある人には有効であっても、皆に当てはまるわけではない。それが僕にとって苦痛以外の何物でもない事は、初めからわかっていたはずだ。結局僕は前に進むことを諦め、その場に倒れこんだ。身につけたものは何もなかった。

自殺志願者

開き直って捨て身の覚悟になればいいものの、なかなかそうはいかない。先ほどの英語の話もそうだけど、痛み、恐怖、不安が人間の行動を抑制する。行動し続けるにはそれら痛みや恐怖、不安などを上回る何がが必要になる。その先に待っている何か、もしくはその過程にある何か、価値や楽しみ、信念などといった何かが。それらを見出だせない、もしくは感じられないうちから捨て身になることはできない。ただの自殺志願者だ。恥を、苦痛を、恐怖を望む、楽しむなんてことができるだろうか。それはマゾヒストやランナーズ・ハイや戦場依存などの極限状態下における脳内分泌ホルモンの中毒者と同じだ。僕はそこまでストイックに追い求めることに喜びも感じられない。

積み重ねてこなかった

人生というのは積み重ねがあってこそ、先につながっていくのだろう。これまで生きてきた中で、頑張ってきたことが繋がり、もしくは共にわかちあった時間、人たちとの繋がり、そういったもので一歩、また一歩と先を歩める。残念ながら僕はただ生きてきただけ。手ぶらだ。何も持ち得なかったし、勝ち得なかった。点と点の入り口だけを渡り歩き、それらを線として結びつけることもできなければ、面として一定の範囲を持つことなど到底かなわない。行き当たりばったり。小学生の頃、塾の先生に数学は積み重ねだと教わった。「一つのことを学べばそれを利用して新しい計算への道が開かれる。お前らは学習を積み重ねず横に並べているだけだ。それでは先に進めない。」まさにその状態をずっと過ごしている。点と点はあまりにも小さく脆弱で、結びつかない。

はったりの仕事

今さら何ができるか。細かい砂粒のような点はばらまかれているかもしれない。それらは価値をもたず、いまだに僕は小学生のままだ。ただ年を食っただけ。何かを積み上げよう、深く追求しようとして成し遂げることはままならなかった。
僕が会社員の頃に感じたことの一つとして、仕事には根拠もなくずさんで、それでも回っていくのだなあということがあった。僕はマーケットのリサーチをしていた。投資家に出す資料として、その根拠となる資料を作っていた。それはネットで調べてほんの2、3時間で作成された、実に根拠の曖昧な、それでいて一見説得力のあるように見える資料だった。こんなものをレポートとして提出していいのか?僕は統計屋でなければマーケターでもなく、当然シンクタンクのような研究機関ではない。時間もなければそれだけで個別の対価を支払われるわけでもない資料に対して心血を注ぐこともできなかった。これがファンドマネジャーの手元へ回っていいのか?しかしそういうレポートは大抵そうやって作成されていた。僕に限ったことではない。他社からレポート作成の参考意見を聞かれることもあった。わからない人間が僕に聞いて作っているのだ。そんなものが、今後どこでも通用するのだろうか。日本以外でも。果たして。もしそれが可能ならば、世の中そういうもんだというのならば、それはそれでなんとかなるのかもしれない。でも世の中には本物がいて、現実としてはやはり、本物には太刀打ちできないのだ。

日本でやったこと

結局に日本では、短時間だけど数人と会い、同じ話を何度も繰り返した。だいたいは半年前に会った人たちで報告という形だった。買い物はそこそこした。日本でしか売っていない、もしくは日本で買ったほうが安いようなTシャツ、帽子、靴、本など。カレーライスやラーメンを始め、こっちでしか食べられないような物もたくさん食べたが、予想していたほどの感動もなく、これは無くてもやっていけると思った。もう未練が無いかというとそういうわけではないが、これ以上ここにいても同じだという気もした。さようなら。