陰口で褒めるということについて

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photo by Arman Dz.

以前に友人の陰口について似たようなことを書いた。僕はこの、陰口で褒めるということがどうもできない。京都人の習性なのか、他人に対して本心をあまり口にしない(ブログはそうでもない)。僕の場合は口にしていなくても態度に出ていると言われることが多く、もしかしたら多少相手には伝わっているかもしれない。

本人に向かってベタ褒めしていても、陰口でボロカス言うというのはあまりない。特に褒めたり讃えたりする事に抵抗があり、それ以外の批判や単に思ったことはバンバン口から出る。それは単に陰口というだけでなく、本人を目の前にしてもその傾向が強い。他人を褒めるという行為が、僕にとってはどうも嘘にしか見えず、特にK君のような事例も見ているので仮にそれが本心だとしても周りにはわからないから、自分はやらなくなった。

単に口に出していないだけで、相手に対して尊敬や敬愛の念があることも多い。人間の感情というのはそう単純なものではなく、同じ相手に対して憎愛入り交じることは多々あるだろう。この人は好き、この人は嫌いとはっきり割り切れるということは逆に少ないのではないだろうか。同じ相手でも部分的に好きな部分や嫌いな部分というのは必ずあると思う。どうだろう、僕だけだろうか。もちろん、どちらかの感情が上回り、相対的に好きであったり嫌いであったりという結果が生まれるのは普通のことだ。ただ他人をあまりにも一面的に、感情的に見てしまうと、その後の判断というか、拾えるものも拾えなくなってしまうのではないだろうかと危惧する。

話がそれました。つまり、僕は陰口で褒めるという行為をあまり信じていない。陰口だからといって、それがその人の本心とは限らない。周りから広めるというのは常套手段であり、パフォーマンスの可能性もあって、陰口が本心を現しているかどうかのあてにはならない。そういうことを踏まえると、陰で人を褒めているという行為は全て策略であり、卑怯な行為であるように見えてくる。本当にそう思っているなら本人に直接言えばいいじゃないか。効果が無い?効果ってなんだ。ああ、ほらやっぱり。