ネットと自分史

1995年、約20年前、Windows95が世間に普及しだした年が俗にネット元年と呼ばれている。僕にとってのネット元年はもう少し後になる。iMacが世間を騒がせ、近所の人まで購入するようになる中、僕の家も触発されMacではないパソコンを購入することになった。1998年、Windows98がOSの主流となり日本にも各家庭に1台ずつパソコンが普及し始めた年だった。当時買ったパソコンは24万円のNECバリュースターNX。ちょうど液晶モニタが出だした頃で、液晶だけで15万円ぐらいする時代だった。それから1年後ぐらいには液晶モニタも10万円を切るようになり、それ自体が画期的だった。今では1万円以下でもあるだろう。パソコンを買ったと言っても僕は高校生だったため親が購入し、無理やり僕の部屋に置くことにしたから家族からは不満が爆発した。僕の部屋に出入り自由にするという条件でキープしたものの、実際はほぼ独り占め状態だったため、親を騙した詐欺みたいになった。

パソコンを手にしたと言っても、僕はその方面に明るいわけでは全くなかった。知っているのはせいぜい隣の人のiMacと、Yahoo!で検索できるということぐらい。パソコンが有るからといっても何ができるのか、何をしたらいいのか全くわからなかった。最初に学んだのは、インターネットは金がかかるということだった。その月の電話代が3万円ぐらいに膨れ上がっていた。

パソコンもインターネットも、毎日触っていれば覚えるのは早かった。入門雑誌やPCゲーム雑誌、フリーソフトを紹介している雑誌などを買ってひたすらURLを打ち込んだり、そのうち個人サイトや掲示板、チャットからwebの向こう側に人がいることを実感するようになり「なにやらすごいぞ」ということになった。そのうち僕はテレホーダイというNTTのサービスに加入することになった。夜間11時以降のインターネット料金が固定になるというものだ。月3万円の電話代をどうにかしてくれと言われていたから好都合だった。ネットを見るにもどこを見ていいかわからない当時は、雑誌からの情報と友人からの情報が全てだった。ゲームラボという雑誌には僕らの夢があった。

当時も今も、ハッカー・ハッキングというのは映画の世界だ。なにやら得体の知れないよくわからない技術で、他人のパソコンに侵入できるらしい。それが実に地味な作業だとは知らず、その程度の認識しかない。しかしインターネット元年、僕のインターネット元年にはそのような怪しい情報が満載だった。「このツールでIPが抜ける」「ping砲で相手を落とせる」「リンクを踏むだけでウイルスに感染する」「違法でゲームがダウンロードできるらしい」当時webというのは玉石混交の闇市みたいなところだった。そうやって日々「日本海溝」やら「世界最強のリンク集」やら「激裏情報」やらを見ているうちに辿り着いたのが2chだった。

2chを見るようになったのはちょうどバスジャック事件の頃からだった。当時はそのことにあまり関心がなく、全然別の社会思想の板を見たりしていた。2chの面白さというのは、圧倒的に人が多いことだった。web利用者はまだ非常に少なかったため、どこへ行っても人がいなかったのだ。今のようにfacebookを起動すれば常に誰かがオンラインになっているなどということは考えられなかった。馴染みのコミュニティサイトへ行くと、誰かいる。誰か一人だけ。週末の夜中になると同じ顔ぶれが5、6人集まるという程度。そんな中において2chの人の多さは尋常ではなかった。不特定多数の人が常時書き込みを繰り返しており固定も名無しも合わせたら一体何人がうごめいているのか、とにかくそんな場所は他に存在しなかった。web上において、常に誰かがいる空間。知っている人も知らない人も、大勢の誰かがいる。2chとはそういう数少ない場所として成り立っていたんじゃないだろうか。おそらくみんなにとって。

2chには相当ハマった。僕が大学受験失敗したのも2chのお陰だ。2chを見だしたのは1999年だったと思う。あの名無しさんがたくさん書き込んでいる掲示板のシステム。仕組み自体はほぼ同じ物がフリーで公開されていて、実際同じような掲示板がたくさんあった。ミルクカフェとか。他にも忘れたけど2ch派生、もといあめぞう掲示板派生の各ちゃんねるみたいなのが当時はたくさんあって流行っていたのだ。けんすうも確かそこ出身だ。

僕は初め2chの社会板という板に出入りしていた。社会問題なんかをひたすら議論しているだけの超マイナーな板だ。2ちゃんねるの歴史に詳しい人ならわかると思うが、当時はロビーが廃れてラウンジがこれから栄えようとしていた時期だった。まだVIPなんか無い、なんJ?なにそれ。そして僕は2chの運営側に興味を持ちだした。ひろゆきのラジオとか聞いていた。メールマガジンも登録していた。今のネットしか知らない人たちは知らないだろうけれど、あのニコニコ動画のひろゆきと、切込隊長こと緑のブログのやまもといちろうさんは一緒に2ch運営をやっていたことがある。当時アスキーがラジ@というネットラジオを立ち上げてネットラジオの走りみたいなことをやっていたんだ。当時はまだPodcastどころかiPodもなかった。番組のスポンサーは雑誌のサイゾー。

2chまわりを取り扱う2ch関連サイトも多く、良スレ取り上げ系まとめサイトはこの頃にできあがった形式だと思う。2ちゃんねる研究みたいなのも流行った。そうだ、当時ニュースサイトみたいなのも流行っていたが、それ以上にReadMeのランキング合戦をやっていたんだ。そこの1位がたいてい裏ニュースで2位とかが2ちゃんねる研究だった。裏ニュースくん事連邦の吉野さんは今でも連邦を更新なさっている。その間にあったことがバーチャルネットアイドルブームだった。その前に先行者を皮切りにしたテキストサイトブームもあったっけ。

ニュースサイトと同時に自分の中で流行っていたのがボイスチャットだった。ウェブにリアルタイムで音声を乗せるというのが画期的だった。これは試験的に2ch型のチャットが開設されるも流行らず、海外のサービスを渡り歩いていつしかYahoo!ボイスチャットに行き着いた。マイクロソフトメッセンジャーにも搭載されるようになり、そのうちスカイプが出てきたりと音声通話はメジャーになった。朝から晩まで全然知らない大人と話していたのだ。ブログも、ミクシも始まるずっと前のお話。

これらは皆高校生の頃の2、3年間にあった話だ。そこから15年ばかり経ち、当時のネットと今のネットは何が違うだろう。当時は、今のネットの中心である、Google、facebook、Twitterがない。Amazonもない。かわりにあったのは、Yahoo!、ホットメール、2chだっただろうか。それぞれ繋がらない、独立した場だった。僕は今、ブラウザを立ち上げると見るサイトというのはgmail、ブログ、はてブ、facebook、これぐらいなのだ。当時は何だっただろう。当時僕らはブラウザを立ち上げた際に、どんなページを表示して、どんなページにアクセスしていただろう。