バック・トゥ・ザ・フューチャーにある違和感

バック・トゥ・ザ・フューチャーという映画を初めて見たのは小学校に入る前だったと思う。パート1の過去(1955年)編は当時あまりよくわからなかったが、パート2の未来(2015年)編に心躍っていたのを覚えている。

 

パラレルワールドを作る物語

バック・トゥ・ザ・フューチャーは過去(1955年)や未来(2015年)を行き来すると同時に、それらから生じた違う未来、パラレルワールドへも行き来する。つまり、過去へ行ってしまったがために未来が改変され、現代(1985年)に戻っても自分が元々いた現代とは変わってしまっているという意味だ。

実はバック・トゥ・ザ・フューチャーのテーマはそこにあり、単にタイムスリップをするだけではなく、過去を変えて未来を変えてしまうという部分がキーになっている。パート1においてはドクが殺されるという現代(1985年)を変えるためにマーティは過去(1955年)で奔走する。しかしドクは科学者だから「未来(現代)の情報を知るのは歴史に影響があるからよくない」と頑なに拒絶する。結果的にはご存知のとおりだ。

パート2においても、序盤は未来(2015年)で起こるトラブルを阻止するために未来へ向かうという話だったが、途中から改変されてしまった現代(1985年)を元に戻すため再び過去(1955年)へとタイムスリップする話になっている。パート3も同じだ。ドクが殺されるという歴史を変えるためにその起点となった過去(1885年)を変えるという点において、このシリーズでは一貫している。

変わってしまった未来

僕が持った違和感というのは、パート1の終盤にある。パート1の終盤では、マーティが無事現代に戻り、自宅へ帰るシーンとなっている。自宅で待ち受けている家族は、自分が知っている家族と全然違うのだ。遺伝的には同じだが、弱々しくいつもビフに頭を叩かれていた父は自信満々になっており、自著のSF小説を出版している。小汚かった母は小奇麗になっており、雰囲気からも余裕が見られる。兄はスーツを着ており、姉は太っている。僕が持った違和感は、これをマーティが受け入れているということだ。

確かに、風貌や態度が変わっていても血縁には変わりない。過去の改変から偶然が重なり、現代に影響を及ぼした結果の変化だったとしても、彼らは列記とした家族だ。しかしマーティが生まれ育った家とはあまりに違いすぎる。
彼は元の家に戻りたいと思わなかったのだろうか?いくら順風満帆な現代に変わったとはいえ、そこは彼が生まれ育った家庭とは似ても似つかない。おそらく、この家の姿というのはマーティが本来望んでいた家庭の姿だったのだろう。しかし、そうだったら受け入れられるのか。本来慣れ親しんだ家は、過去の改変によって永遠に失われてしまったのだ。

変わったけど変わらなかった未来

変わっていないのは唯一ドクだけだった。厳密に言えばドクも過去で改変されている。しかし、ドクはドクのままだった。彼の知っているドク、現代でも過去でもドクだけは友人のドクのままであり続けた。それはマーティの人生と連続性のある唯一の人だと言える。

居場所を失ってでも未来を変えるか

ドラゴンボールにおいて、未来から来たトランクスは同じ未来に帰れた。しかしこれが仮に、過去を変えたことによって改変した未来に戻らざるを得ないとしたら、果たしてトランクスは過去に行っただろうか。母ブルマを一人残して、悲惨な未来を去る決意をしただろうか。とてもじゃないがそうは思えない。いくら生まれた時代が悲惨だったからといって、自分が生まれ育った時代、世界には代えがたいものがあるはずだ。特に家族や友人といった人との関係性など、共に育んできたものは捨てきれないだろう。

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