会うに至るまでの経緯は以下を参照に。
夜の8時半だったものの、お互いまだ何も食べていなかったため「何か食べたいものありますか?」って聞いたら「寒いからスープ的な何かを」と言われたので家の近所にあるフォーの店に入った。Hue’s kitchen という店で初めて入ったが、でかい店の割に意外と安かった。フォー$8とか。日系のラーメン屋はなんで$15とかするんだ。
スポンサードリンク
相手は僕のブログを読んで多少僕の事を知っていたかもしれないが、僕は相手のことを全く知らなかったため、色々聞いた。
- 現フリーライター
- ライター歴10年
- 大学生の頃はNEUTRALで働いていた
- 海外旅行は多いがバックパッカー程ではない
(インド、ベトナム、チェコあたりが被っていた) - 歳は近い
- お酒はあまりの飲まない
- 喫煙者だがヘビーではない
- 僕のブログを読んで2ヶ月
僕ばかり色々聞いていたため、相手に質問してもらったところ
「何でトロントにいるんですか?」
という定番の質問が出てきた。「何でトロントにいるか」僕はこのブログにも書いたかもしれないが、詳細を知りたければこの辺りを参照に。
とにかく僕は
「それは、何でトロントを選んだか?っていう部分か、それともそもそも何で会社を辞めて外国に住んでいるのかっていう初めの部分かどっち?」
と聞き返したところ、そもそもの初めからということだったため、僕は自分が旅行するようになった話からした。最初の旅行がベトナムだったという話をしていたら、
「何で最初にベトナムに行ったの?」
という話になったため、僕はそこからベトナム行きの経緯を話すため、僕が幼い頃にベトナムに関心を持った話をしていた。これが非常に長くなり、
- 何故ベトナム戦争が起こったのか
- ベトナム戦争とはどういう戦争だったか
- ベトナム戦争当時の冷戦構造とはどういうものだったか
- ベトナム戦争当時のアメリカとはどんなだったか
- ベトナム戦争はどのように終わったか
- ベトナム戦争は映画などでどのように描かれたか
そんな話を延々とすることになった。「え、これ大丈夫?こんな話興味ないでしょ?」と聞きながらも、「興味ある」って言うから第二次大戦の末期から、第一次インドシナ戦争、ディエン・ビエン・フーの戦いからドミノ理論へ、そしてソビエト共産党とホーチミンの関わりや、南ベトナム解放民族戦線からの北ベトナム軍へのシフト、当時アメリカの報道姿勢やベトナム帰還兵のPTSD、ヒッピームーブメント、公民権運動、アポロ計画、ケネディ暗殺、ロッキード事件など、ベトナム戦争に関わる話をずっとしていた。
ベトナムの話があまりに長くなったため、本題?であったブログの話へ変えたりもした。僕のブログについて、トロントに関する日記は参考にしたものの、情報を提供している内容よりも気持ちを綴っているだけの内容が面白いという感想を頂いた。これ、実はよく言われる。Twitterでやりとりしたことがある人にも言われた。今回会った人が面白かったと言ってたのは、例えばこれとか。
Twitterで言われたことあるのはこれとか
この辺りの日記とかって全く反応なかったから、僕はてっきり読んでいる人なんて一人もいないもんだと思っていた。まあスターとかちょっと付いてるけど。と言うか、よく覚えているよな。人が書いたブログでどれが面白かったとか、僕はそういうの覚えられない。そういう話を聞いて思ったのは「たくさんの人に読まれる文章よりも、一人が読んで覚えていてくれる文章のほうが有り難い」ということだった。自分は商売でブログを書いているわけじゃないから余計にそう思う。ただそういう反応を得られる機会がなかなか乏しいというのは残念だ。僕はブクマを残すようにしている。
喋っていて言われたのが
「ブログ読んでいると、よく突っ込む人だなーって思ってましたけど、実際会ってみたらブログなんか生易しくて、こんなに突っ込んでくる人だと思わなかったです。論理的に責め立てられる感じが正直無理だと思いました。」
僕はそれを聞いて一人大爆笑していた。