言葉で表せない何かについて

頑張ればできるんだろうけど、僕にはその表現が思いつかない。記憶には、言葉に表せないものがいくつかある。例えば、匂いだ。匂いの記憶というのは思った以上に鮮明であり、街を歩いている時に前の彼女がつけていた香水の匂いがして思い出したり、そんな良い記憶ではなくても例えば家の匂いとか、街の匂いとか、季節の匂いだとか、定まったものもあれば固有のものもある。これは脳が記憶しているけれど、外部に記録することができない。香水のようなものであれば可能だけど、人に伝えることはできない。「こういう匂いなんだよ」って。それをいざ言葉にしてみようとするものの、自分の記憶に頼っているためなかなか共有できない。そういう時に非常にもどかしい気持ちになる。

外部に記憶できないとなると、人に伝える場合だけでなく自分で思い出すことも困難だ。実際にその匂いをかいで思い出すことはできるが、それが無い時。実物が無い時、その記憶というのは永遠に呼び覚ますことができない。これも何とも言えない気持ちになる。

匂い以外には何があるだろうか。例えば、色だ。絵や写真、人、景色、物体の色というのは記録できる。しかし、空気の色。何と表現すればいいのだろうか、雰囲気。こういう感じ。これを色と呼ぶのが正しいのかどうかもわからないが、あの街はこういう色をしているとか、気持ちの色と言えばいいのか。

まとめて言うならば、感動だ。心の動き。音楽を聞いた感想、映画を見た感想、本を読んだ感想、それらを評論することは可能かもしれないが、心の動きを書き留める作業というのは非常に難しい。それを人に伝えるとなると、ほぼ不可能だろう。同じ対象を前にしても、自分が感じることと人が感じることは違うから。そして、過去の自分が感じたことと、今の自分が感じることも違う。喜び、哀しみ、一言で表すのは簡単だが、それは自分が感じたこととは全然違う。それらの言葉には中身が無い。

僕がトロントに来た当時の感想というのは、日記に書いてある。これを読めば、僕自身はわずかながら当時の気持ちを思い出すことができる。当時この街に持った印象、僕が抱いた感情。街を歩き、人と話し、そういった体験から受け取った新鮮な思い。今同じ場所へ足を運べば全く違う感情が沸き起こるが、同時に「あの頃はこんな風に思っていた」という気持ちも思い出すことができる。しかし、その気持ちは時間とともに薄れ、そのうち忘れてしまう。書き残した日記を見ても、その場に立ち尽くしても、当時の気持ちは蘇らなくなる。人に対する想いとか。

僕はそれらを書き残せないことがとてももどかしく感じる。