「察して案件」は何故こんなにもウザいのか

「察してほしい」などと口にする人は、自分がお姫様か王様か何かだと勘違いしているのだろうか?

 

「察して案件」のウザさのはここに尽きると思う。つまり、自分が相手に気を遣ってもらえる立場にあるという、とんでもない勘違いをしている点だ。この意識が抜けない人は、いつまでたっても人と良い関係、対等な関係を築くことができない。当の本人が本当にお姫様であったり王様であったり、そうでなくても特別美人であったり才能があったり金を持っているのであれば、相手は察してくれるだろう。その方が相手にとって得だから。でも一般市民であるあなた、何の価値も無いあなたの心情を察して先回りして行動なんかするわけないでしょうが!!自惚れんな!!いや、まあそれでも察してくれる人はいる。例えば一晩だけの関係を持ちたい人はその日だけ察してくれるだろう。継続的に関係を持ちたい人だったら、定期的に、その人が気が向いた時だけ察してくれるだろう。あなたがそういう何か、見返りを提供できる場合に限り、人は察してくれるよ。

「察してほしい」という心情は、母親に甘える幼児と同じだ。その頃からまるで成長してない。もちろん、誰に対してでも常に「察してほしい」などと思っている人は稀だ。「察してほしい」などと口にする人であったとしても、基本的には日常生活を営める程度に人との関わりを上手く保つことができる。「察して案件」が出没するのはだいたい深い関係性に陥った時だ。もしくは男女であったり、何か特別な関係があると急に「察してほしい」などと言い出すクソがいる。むしろ大抵の「察して案件」は口にも出さずただ不機嫌になるだけだ。そして相手が察してくれるのをひたすら待つ。

個人的には「こいつバカか?」と思いならいつどのタイミングでこのクソに対してボロカス言ってやろうかと沸々と沸き起こる怒りをなだめるのに必死だったりする。僕は仮に相手と利害関係があったとしても、相手がこの「察して案件」を求めてきた瞬間に怒りが爆発して関係を断ち切る。もしくは、決して応えたりしない。相手に「察してほしい」などという態度は、自分の思う通り動いてくれなければ怒るという、相手の人格を無視した、まるで奴隷かのように扱う、相手を下に見た、あまりにも相手に対して失礼な態度だからだ。僕はそういう態度を受け入れることができない。

人は、自分にとって都合のいい人ではない。人を都合よく利用しようとするならば、必ずその見返りがある。つまり、自分もどこかで都合よく利用される。本当にいい人、何の見返りもなく察してくれる人というのは確かに世の中にいるだろう。僕はそうではないけれど、そういう人をこれ以上苦しめるのはやめてあげてください。

僕たちは超能力者じゃないから相手の考えていることなどわからない。仮にわかったとしても、意思表明もされていない考えに応える筋合いなどない。僕たち人間は言わなければわからないことだらけで、言ってもわからないことの方が多い。それでも何とかお互い歩み寄るためには、話し合うしか方法がない。そういう対話を拒否して「察してほしい」などと吐かす輩は人に迷惑をかけ続けるか、もしくは自分の価値を売り続け、その価値が無くなった瞬間に相手にされなくなり永遠の孤独を味わうことになるんじゃないのかな。他人に何かを求めるのであれば、それ相応の対価を支払わなければならない。本当に察してくれる人は、自分が赤子の時の母親だけだ。母親でさえ察してくれない人はいくらでもいる。もうそんな赤子じみた幻想を追い求めるのはやめよう。