今日はiPhoneの電源オフデー

と言ってもMacは開いているからあまり意味ないんだけど、とにかく今日から明日のブログ更新までiPhoneの電源をオフにしてみようと思った。なぜ、なんのために、特に理由はなかった。見つけてみよう、探そう理由。探そう心のゆとり。

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ノイズが多い

iPhoneでやっていることのほとんどはTwitter、ブラウジング、facebook、つまり情報の取得ばかりだ。無限に降り注いでくる情報を追っかけているばかりになる。それで得たものは?情報。何かためになったか?なっただろう。わからないけど。ではそれが今である必要はあるか?明日でもいいだろう。特に年末ということもあってか、不要な情報、ノイズに溢れている。そういうの1日ぐらい全てカットしてもいいのではないだろうか。まあMacで見るんですけど。

主体性が失われる

そうやって情報を取得ばかりしていると、触発されることが多い。それはいいことだ。誰かの行動が僕の行動につながったり、その逆もある。でもそれって、自分で何かをしていると言えるのだろうか。まあ言えるだろう。だって触発されたと言ったからって真似をするわけじゃないんだから。自分が自分なりにあーしたいこうしたいって思うだけ。ただきっかけが自分ではない。僕は自分主体で生きているだろうか。他の誰かに、もしくはiPhoneに日常生活の主導権を奪われていないだろうか。たまには何かに影響を受けず、自分で考えて何もしなかったり何かをしたりしたい。まあMac見るんですけど。

機能に頼りすぎる

iPhoneの機能に頼りすぎている。MAPなんかは典型的だけどリマインダーとか何から何まで。カメラもそうだ。カメラ持っているのについつい「iPhoneのカメラでいいや、そのほうが便利だし」ってなってしまう。iPhoneは電源入れているだけでありとあらゆる通知が来る。知らせてくれる。僕はただそれを追っかけているだけ。もちろんその情報の起点というのは自分で設定しているのだけど、果たして今の自分は機能を利用する側に立っていると言えるのだろうか?まあMacで見るんですけどね。

そもそも必要ではない

これは僕の特殊な状況もある。僕は人付き合いがなく、働いてもいない。連絡手段のiPhoneという面においても必要性が全くない。僕が一日オフにしたところで誰かに迷惑をかけるわけでもなければ、警察を呼ばれるわけでもない。iPhoneがなくたって生きていけるんだ!僕らはそうやって生まれてきたのだから。とは言えそれが1年2年と続けばさすがにいろいろな面で大変になってくるため、たった一日の最終決戦に挑むわけなんです。まあMacでたいていのアプリが同期されているから一緒なんですけど。

では何をするのか

iPhoneの電源をオフにしたらiPhoneに費やしていた時間はいったいどこへと行くのか。取得していた情報分だけのあまったスペースはどうするのか。まさかアナログへ戻るというわけでもない。同じことをするのであればデジタルでいい。じゃあ何しよう。iPhoneと向き合っていた時間は、自分と向き合う時間にしよう。勉強してもいい、本を読んでもいい、手帳なり日記なり、iPhoneからのインプット抜きで何か書いてみてもいい。絵や図を描くのもいいんじゃないだろうか。うちにはテレビもゲームもない。誰とも連絡は取れないけれど、外に出て何か感じてもいいだろう。Macはなるべく開かずに。

ネットオフもやってみよう

僕は今Wi-Fi無しのテザリング6G/月生活を送っている。もちろんWi-Fiスポットに行けば使えるんだけど、だいたい毎月3週ぐらいで6Gを使いきってしまう。つまり1週か2週はテザリングも使えない日々を送っている。なんて不憫なのでしょう。近くにカフェや図書館があるからWi-Fi借りに行けばいいだけの話なんだけど、例えば深夜とかはそうもいかない。カフェ等開いている店もあるけれど、その都度コーヒーなんて買ってられない。今のうちからネットを節約する術を覚えるか、ある程度使わない事に慣れてしまいたい。

はじまりです

さて、このテクノロジー社会の中、テクノロジーの集約とも言えるiPhone無しの生活を1日ぐらい送ることはできるのだろうか。それぐらいは正直余裕だと思う。触ったら負け、iPhone1日オフデースタートです。試みの主旨としては何がしたかったのか、何が必要だったのか、何は省けるのか、何が代わりになるのか、ならないのか。本当に欲しいものはなんなのか、本当に必要なものはなんだったのか、本当にしたいことはなんだったのか、そのあたりをゆっくりじっくり明確にできればと思います。

何でもかんでも詰め込むのが良いことではないことぐらい、僕たちは知っている。中にはそのまま突っ走れる人もいるけれど、僕には整理する時間が必要だ。僕はそんなに器用ではない。また「いつか何かの時のために」と思って残しておいたものの9割は死ぬまで活用することがない。保険のように。テクノロジーは必要なときに必要なだけ使えばいいじゃないか。きっとそれを見直すいい機会になると思う。いや、多分1日ぐらいでは何もわからない、何も変わらない。それでもいいんです。それではみなさん、また会う日まで。