保守、リベラルってそう割り切れるもの?

僕は政治学なんて知らないから素人意見になってしまうけれど、僕と同じ素人の多くは同様の気持ちを抱いているのではないだろうか。日本人の多くの人に、「あなたの政治思想は保守(右翼)ですか?リベラル(左翼)ですか?」と聞いたところで返ってくる答えは「どちらでもない」だと思う。外国人は知らない。また、多くの人は「この政策はリベラルを支持するけれど、この点については保守の意見を支持する」と言った中道、もしくは両方のいいとこ取りを望んでいると思う。また、日本の政党についても保守なのにリベラル的な政策を取ったりと、よくわからない。

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「日本は立憲君主国家だからリパブリック讃歌は歌えないよ」

僕が小学生の頃に言われた言葉だ。意味がわからなかった。日本に天皇制があることは小学生でも知っている。同様にイギリスには王制が残っており、ドイツやフランスでは廃されたということも。アメリカにはあるはずもない。立憲君主制と共和制との違いや、その意味については全く理解できなかった。正直なところ、今でもよくわかっていない。

僕の父親はマルクス主義者だった。しかし行き過ぎたソ連のやり方を支持しておらず、北朝鮮については当時から懐疑的であった。また、学生運動などに参加する人物でもなかった。かと言って彼はあからさまに反米思想であり、資本主義、特にブルジョアに対する反発、嫌悪は凄まじかった。僕が育った家は極貧ではなかったものの、基本的には皆が皆質素な生活をしていた。宵越しの銭は持たない、ではないけれど、そこでは金や物に対する執着が否定されていた。母親は父の影響も受けていた。しかし男性が持つようなそういう思想とかガチガチのややこしい考えはなかった。ただ皆が平和に安全に飢えることなく過ごせればいいと思ってるようだ。

僕が高校生の頃、小林よしのりの戦争論、戦争論2を読み、父親に勧めてみたが、彼は読んだ。そういうのを受け付けない人ではなかった。彼は

「いろいろ間違いはあったけれど面白かった」

という感想を述べた。彼の思想が戦争論によって変化するということはもちろんなかった。彼は共産主義が理想であるということ、実現は難しいということが元々から頭にあったものの、その理想を捨てることはなかった。彼らの多くがそうであるように。

僕が初めてリベラルに触れたのは、宮台真司の本からだった。それも高校生の時だ。リベラルと共産主義は全くの別物だけど、リベラルってこういうもんなんだ、と当時思った。その後、やまもといちろうさんの死体置き場、ブログを読むようになり、それが僕にとって初めて保守という思想を目の当たりにした機会だった。僕はいまだに共産党宣言も資本論もエドマンドバークのフランス革命における〜も読んだことがなく、そしてそれらが今の体制を考える上で役に立つのだろうか?

右翼左翼という言葉はイギリスの国会における議席の場において、右が保守、左が革新の二手に別れ議論をするという形から出てきたというのは小学校で習った。僕は大学の頃少しだけディベートについて習った。ディベートにおいては個人の信条を抜きにして、賛否の双方の立場に則り意見を突き進めるというものだった。日本でやっている議論というのはただの話し合い、もしくは自己主張の場だと教わった。談合みたいなもんだ。

それはどこにおいても見受けられる。やはり日本ではそういうディベートみたいな政治体制って合っていないんじゃないだろうか?機能しているのだろうか?僕はその政治思想を突き詰めて出てきた実現不可能な意見であったり、トンチンカンな公約であったり、「それは有り得ないだろう」というような憲法改正案や、そんな物を出されても「やめて」って思う。まともに考えたらやりすぎだって思うことを目標に掲げるのはやめて欲しい。自らが保守、リベラルと名乗り、突き詰めることに果たして意義があるのだろうか?