ウェブサイトって歴史だよな

自分が死んだ時のことを考える。ブログが残ってしまうな。アカウントが更新されなくなり、何年も放置されていると消されるかもしれない。サービスが終了するかもしれない。それが何年かかるかどうか、もちろん更新は終わっているから見向きもされなくなる。書き主が死んだことは知らされないまま、それは突然更新を終えて何年かは残るだろう。

自分の人生って何だったんだろうなって思う。僕は何もなかった。これを言うとパクっているみたいだけど、僕は彼とも違って結婚もしなかったし子どもも残さなかったし、何もしなかった。本当の意味で。何処にも、なんら足跡もなく、誰にも思い出されず、何も残さなかった。それは結局、僕は地球に生まれたけれど実は火星人で最後まで地球に馴染めなかったとか、そういう感じなんだ。それだけの話。じゃあ自分って何なんだ。一体、この何十億分の1の生と死が、何らそこに在ったのだろうか。初めから存在したのかどうかさえ曖昧で、在ってもなくても同じことだった。

僕が死んだ後にこのブログが2、3年残るとして、ある意味唯一残したものになってしまうかもしれない。これは別に作品でも偉業でもなんでもないけれど、自分を現したものはこれ以上になく、一番近く、細かく残してある。それは歴史だと思う。黒かろうが白かろうが、個人を積み上げたものであり、そこには列記とした自分が残っている。それに価値はないけれど、なんだったらここにこういう人が生きていました、こういうことを日々考え生きていましたという墓標のようなもんになると思う。こんなものしか無い。