「我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話」感想・書評

これはベトナム戦争に関する本であり、NHKで同名の番組を制作したディレクターがまとめたものだ。僕は番組を見ていないけれど元々ベトナム戦争には関心を持っており、この本のタイトルに惹かれた。

1997年、ベトナムの首都ハノイである会談が行われた。ベトナム戦争当時アメリカ国防長官だったマクナマラ率いる戦争責任者たち、そして北ベトナム軍の責任者だった人たちが、戦争終結から20年経ち国交を回復した今、両国のさらなる関係改善を前提に「我々はなぜ戦争をしたのか」というテーマで行った会談だった(ハノイ対話と呼ばれている)。この本はその記録を元に書かれた。会談の内容を文字に起こして注釈を付け加えたものだと思っていい。

 

あのアメリカが敗戦国としてかつての敵国へ向かい、自らの過ちを認めた上で反省と後学のために会談を行ったというこの本の内容は実に興味深いものだった。

僕がこの本を読んだのは2011年のことで今は手元にない(父に貸したため実家にある)。内容を細かく覚えておらず曖昧な記憶を辿りながら感想を書くが、印象的だったのはベトナム戦争に対するアメリカ側の捉え方と、ベトナム側(当時北ベトナム)の意識のズレ、ギャップだった。ドミノ理論なんてものがアメリカの誇大妄想であったことはよく言われているが、それだけでなく彼らは当時、互いの意思や主張の多くを取り違えていた。

例えばあるタイミングでアメリカの基地が攻撃された時、アメリカ側はそれをホーチミンの意思であり、なんらかのサインだと受け取って逆上していた。しかし会談で明らかになったベトナム側の主張によると、北ベトナム首脳はそのゲリラ活動を把握さえしていなかった。ベトナム側が言うには「我々は農耕民族でありアメリカ軍のようにトップダウン方式で軍隊を管理していない。ゲリラ部隊は各チームがチームごとに意思を持って動いており、ホーチミンの意思で末端のチームが動いたりはしない」ということだった。

この双方の意識のズレ、文化の違い、考え方の違い、そしてお互いがそれを取り違えたことそのものが戦争を回避できなかった原因であり、長引いた原因であり、多くの死傷者や爪痕を残し、アメリカ撤退、北ベトナムによる南北統一という結末に至った理由にさえ感じられる。外交とは本来、そういった食い違いを解消するために行うものかと思うが、ベトナムとアメリカの間においてそれらは戦争開始当初に留まらず、戦争終了後も、この会談が行われるまでずっと機能していなかったと言えるだろう。この会談中においてさえ、お互いの主張、意思疎通が上手く行っていないことが伺える。

北爆(北ベトナム全土に対する爆撃と空襲)についての会談内容は、アメリカの主張に対して個人的にも憤りを覚えた。アメリカ側は「何故もっと早く停戦交渉に応じなかったのか。北ベトナムがもっと早く停戦交渉に応じていれば、北爆の被害による死傷者数はもっと少なく済んだ」というような質問をした。これは強盗犯が「お前らが早く金を用意していれば人質は死なずにすんだ」と言うようなものだ。これを聞いたベトナム側はさすがに怒った。そしてベトナム側はだいたいこのように答えた。「北爆があったからこそ、何としてでも勝たなければいけないと思った」。僕の記憶は曖昧だから記憶違いの部分はあると思う。詳しくは本を読んでみてほしい。218ページの薄い本で会談が中心だからすぐに読める。Amazonの中古で238円からある(2015/8/11時点)。ブックオフなんかに行けば多分100円で売っているだろう。

我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話

我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話

 

ベトナム戦争 - Wikipedia

余談になるが、僕が子供の頃から常々思っていたのは「何故ベトナムがアメリカに勝ち、日本は負けたのか」ということだった。ベトナム戦争は南北統一戦争であり、日本が戦った太平洋戦争とは全く様相の異なるものではあったが、ベトナムはその国土から米軍を追い出し、日本は半ば植民地のようになった(沖縄は27年間アメリカだった)。アメリカに対しかつて無いほどのダメージを与え、唯一アメリカを退けた国としてのベトナムから学べることはあるのではないかとずっと思っていた。

今週のお題「読書の夏」