外の世界への興味が薄い

他のブログとかを見てると、世の中のニュースや出来事、その他日常的なことであったり目に触れたもの、体験したものについて自分の意見や感想を書かれていることが多い。しかし自分のブログを振り返ってみると、自分はいつも自分の内面のことばかり書いている。何かについて書く、というよりは自分自身の現在や過去、思うこと、考え、そういったものを記録してばかりいる。世の中に目を向けてはいるつもりだが、例えばウェブ上においていろいろ目にしたり、人と話して、街に出て何かを体験したとしてもあまり書くことが思い浮かばない。それはひとえに興味が無いからだ。興味の観測範囲が非常に狭い。それ故に、手に触れたとしても何も感じない、何も思わない、そもそも手に触れない、どうでもいい、書くことないという結論に至ってしまう。仮にそういうものを書いたとしたら長くてブコメの100文字程度で終わってしまう。それも中身のない意見として。

その理由の一つとして思い浮かんだのが、僕は他人事を自分事として考えることができないからじゃないかと思った。よって世の事象、つまり他人事を目の前にして、何の意見も浮かばないのだろう。「そうでっか、さいでっか、そら傑作や」と、他人事として頭の中で処理されてしまう。もし自分だったら?なんて考えたところで自分には関係なさすぎて現実味がない。そもそも興味がない事柄を自分事として考えるなんてことはできない。その場に自分がいないからこそ他人事なのだ。やはりそこには数千字も書く熱情が湧くこともなく意見も出ない。想像力が無いのだろうか?多分無いと思うけれど、そういう問題でもない気がする。想像した上でさして興味が湧かないというのが実際のところだろう。自分とは感覚が違う。薄情と言ってしまえばそれまでかもしれないが、他人を見ていても何故そんなどうでもいいことに一喜一憂できるのか理解できないのだからしょうがない。それはでも、逆に言えば自分が興味を抱くことについて理解できない人がいれば同じことだと思う。対等だ。中身が違うだけ。

住む世界が違う。同じ世界に住む人同士が共有する問題、価値、話題、そういったものが互いに交わされ興味の対象として消費されるのだろう。ビジネスで運営されているサイトやブログであればまだ理解できるんだけど、個人のブログにおいてもそういった別世界の全然興味のないことばかり書かれており、本当に読むものがない。自分ははてな匿名ダイアリーに投稿される内面の告白めいた文章に対してよくコメントをするんだけど、それにしても自分のブログに取り上げて長々と書くほどのことはない。滅多にない。web上に流れるニュース、出来事、話題についても同じ。驚きと発見、一喜一憂、興味関心、思いの丈をぶちまけるほどのことがない。だから余計に自分はブログに誰も関心を抱かない自分の内面ばかりを投下してログを埋めてしまっているのかもしれない。実に狭い世界に生きている。こういうのを意識が低いっていうのだろうか?