「グレート・ギャツビー」についてあれからずっと考えていた、感想・書評

あれからっていうのはアレからなんだけど、僕はこの小説をずっと男女の擦れ違いの話だと思っていて、そこに全然違う視点を持ってこられたから「それってどういうことなんだろう?」ということをずっと考えていた。というのも彼女がその答えを全く示してくれなかったため、自分で考えるしかなかった。そうやって導いた結論というのは、いざまとめてみるとすごく当たり前の事だった。むしろこの本を読んでおきながら何で今までこんなことに気づかなかったのだろう、というような内容だ。僕がグレート・ギャツビーを読んだのは確か18歳の頃で、ちょうど恋愛に失敗した時期だからどうしてもその恋愛色の強い部分に感銘を受けたのかもしれない。今読んでも多分そういう感想を一番に抱くだろう。けれど手元に本がない状態で与えられた視点について改めて考えていると、すごく簡単な答えに今更ながらやっと辿り着いた。

 

グレート・ギャツビーのあらすじ

この小説にはニックという語り手がおり、彼の視点で物語は描かれている。彼が語るのは隣人であるギャツビーという青年の物語。ギャツビーは10代の頃、デイジーという女性と恋仲だった。デイジーはニックの再従姉妹であり、貴族のような金持ちで、当時兵隊だったギャツビーと若気の至りのような形で付き合っていた。戦争が始まり、ギャツビーとデイジーは離れ離れになった。その間もギャツビーはデイジーをずっと想い続けたが、デイジーはギャツビーをあきらめ、同じ貴族のような金持ちの男性と結婚し子供を授かった。一般人だったギャツビーにとって、デイジーは元々手の届かない存在だった。それでも彼は彼女を想い続けた。再びあの頃のように、デイジーに振り向いてもらうにはどうすれば。彼女に相応しい男になるしかない。そこで彼は非合法な手段(株のインサイダー取引など)に手を染めて、デイジーと肩を並べようとした。それは上手くいった。ギャツビーはニューヨークにホワイトハウスのような豪邸を建てる大富豪になった。

その後ギャツビーはデイジーと元の関係に戻るために、計画の第二段階に移った。いかにして自然にデイジーの前に現れるか。いかに魅力的な男として、いかに彼女に相応しい男として帰ってきたことを相手に示すか。慎重に、用意周到に、ものすごく手の込んだ形で演出し、アプローチをした。それは最初、うまくいった。デイジーは自分に相応しい男となって帰ってきたギャツビー、大富豪になっている若かりし頃の恋人、その夢の世界にいざなわれた。しかし、彼女は目を覚ましてしまった。あれから過ぎた年月、自分の置かれている立場、そして娘のこと。彼女にとってギャツビーは10代の頃の思い出であり、目の前にいるギャツビーも夢の世界の延長でしかなかった。彼女にとって夢の世界とは、もう過ぎ去ってしまった時間だ。彼女は自分の置かれている現実を選ぶしかなく、二人が再び添い遂げることはなかった。

その後ギャツビーは事故で亡くなる。ギャツビーからデイジーの事を相談されていたニックは、思いを遂げられずに死んだギャツビーを弔うため、彼の親族などをあたっているうちに彼の素性を知ることになる。物語上はここで初めて、大富豪ギャツビーは全てデイジーとよりを戻すために作られた虚像だった事が明らかになる。彼の生まれは貧しく、貴族でも何でもない。全てはただデイジーに振り向いてもらうためだけに成された仕掛けだった。

若さの象徴だったギャツビー

上にまとめたのがこの物語の大まかな流れであり、僕は若い時にこれを読んで単純にギャツビーに同情していた。一途で真っ直ぐな男性と現実的な女性の擦れ違いの物語だと思っていた。しかし今回与えられた新たな視点で考え直して思ったのは、語り手ニックにとって、ギャツビーという存在は自分の若さの象徴だったのではないだろうかということ。思い返せばニックという登場人物は不自然だった。ギャツビーが死に、誰も彼に見向きもしなくなった中でただの隣人で友人だっただけのニックがギャツビーの素性や親を探しあて、結果的に彼だけがギャツビーを、ギャツビーが死んでからもずっと気にかけていた。それはニックにとってギャツビーの喪失が、ただの友人の喪失を越えた何かであった事を示唆している。ギャツビーは単に気のいい友人ではなくニックにとって大切な何かであり、彼の死をないがしろにするなんてとてもできなかった。

ニックは物語中に何度も、自分が年を取っていくことに関しての心情を述べている。そしてギャツビーを見ることにより、若かりし頃の夢を追い続けているギャツビーの姿を、自分が失いつつある若さと重ね合わせていたのではないだろうか。その後彼の死を目の当たりにして、彼を弔うことでニックは自分の中にあった若さが既に死んでしまっている事を実感したのだろう。目の前にある日常という名の現実、年老いていく肉体、そこにいる自分はもう、ギャツビーのように若き日の夢を追い求めるのに相応しくない、現実と折り合いをつけなければならない中年の姿だった。彼がギャツビーの死を弔うという行為は、同時に若かった頃の自分を弔う行為に等しかった。しかし、それでも尚、ギャツビーのデイジーに向けた熱情というのは純粋であり、美しかった。それだけは決して変わらない。そしてそれは既に失われたものであり、もう二度と、再び手にすることはできない。ニックにとってギャツビーの死は若さの死と同義であり、それは彼自身の身をもって弔わずにはいられないほど掛け替えのないものだったのだろう。

Only Gatsby, the man who gives his name to this book, was exempt from my reaction - Gatsby who represented everything for which I have an unaffected scorn. If personality is an unbroken series of successful gestures, then there was something gourgeous about him, some heightened sensitivity to the promises of life, as if he were related to one of those intricate machines that register earthquakes ten thousand miles away.

グレート・ギャツビーは、ギャツビーに象徴される若き美しき時代を弔い、老いとこれから直面する現実に向き合う、けれどそれでも尚、失った日々の美しさを心に刻み、これからの人生を歩んでいこう。そういう物語だという結論でした。

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)