シェアハウス生活がトータルで3年近くなり、ほぼ毎日プライベートな時間も何もかも他人と顔を合わせ毎日他人と接するんだけど、かと言って人と一緒にいるのが好きだとか誰とでも仲良くなれるとかそういうのは全く無い。それどころか、人と一緒に居ようが居まいが誰とも会話しないことが多く、それは同室であろうとリビングであろうとバイト先であろうと同じだ。元々無口であり、コミュニケーション不全でもあるためそうそう誰かと仲良くなったりすることがない。それは仲良くしたいけれど恥ずかしいとか積極的になれないという意味ではなく、興味無いしめんどくさいから関わりたくない。しかし、一緒に住んでいたり働いていたりするため必要最低限の範囲ではさすがに人と関わる。その、不要な部分で、どうでもいい部分においてどうでもいいやりとりや会話などをしないというだけ。
それは相手が日本人であろうが外国人であろうが同じことで、特に話す必要がなければ話さないし仲良くもならない。人は誰かと、誰とでも仲良くなりたいと思うのだろうか?という疑問がわいてくる。それはやはり、周りの人が僕にどうでもいい話題を振ってきたり周りの人同士でどうでもいいことを話していたりするからだ。彼らにとってはどうでもよくないのかもしれない。どうなんだろう。何のためにそのやりとりをしているのか、全然わからない。面白いから?単に自分が興味無い内容というだけで話している当事者同士は面白いのかもしれない。人が人と仲良くする動機というのは一体なんだろう?
自分が理解できるのは、まず第一に相手に興味がある場合。インタビュアー的な好奇心から相手と色々話したいと思うことはあり得る。でも相手のことをよく知らなければ相手に興味なんか出てこない。何かきっかけがあったり一面が見えた時に興味を抱き、接点を持つというのはあるかもしれない。それだったらもっと中身のあるやりとりをしていてもいいものだろうと思う。第二に、物事を円滑に運ぶために事前に関係性を築いておくということ。お互い助け合ったり頼り合ったりする時が来た時、既に良い関係性ができていれば何かと都合が良いだろう。僕はそういうのに参加しないから、円滑も都合も何もない。必要であれば円滑でなかろうが都合が悪かろうがやらなければ仕方がないし、それで不都合があればそれまで、どうせその程度の話だ。ビジネスであればそうも行かないだろうが、日常生活において身近な他人を頼らなければならないほど困ることというのはそれほどなく、基本的には自分でなんとかなるしなんとかする。本当にどうにもならないほど困っていれば、関係性がなくても大抵親切な誰かが助けてくれる。だったら予め誰かと仲良くする意味なんてあるのだろうか?
ただ仲良くしたいから?寂しいから?そのあたりは僕には全く理解できない。それ以前に、自分の場合仲良くなれる人がかなり限られており、上辺だけの付き合い以上に発展することは極めて稀となる。上辺だけの付き合いなんて、それこそ築く意味があるのだろうか?何がしたいのだろう。時間の無駄、労力の無駄、めんどくさい、煩わしい、そういう風に思わないんだろうな、多分、人と平気で仲良くしようとする人は。器がデカイというか、そういうの全然平気なんだろう。僕は自分のことで精一杯でそこまで気が回らないです。