休日日記

世間は三連休らしい。そう言うとまるで休日も働いている社畜もしくはサービス業に従事する休日がズレた人か、または世俗を離れ山に暮らす失踪者のようだけれど、似たようなもんか。日曜日である今日は僕も休みで、ここのところ引きこもっているため街に出かけようと思っていた矢先に風邪をひいて体調を崩し断念した。先週は気温の上がり下がりが激しく、おまけにタンクトップで雨に打たれながら作業をしたりしていたため、見事な不調を獲得した。文字通り不調。3日ぐらい薬を飲んで生活している。治ったと思って気を許したらこの日曜日をベッドで過ごす羽目になった。ベッドに居てもやることがないため本を読んだりネットを見たり音楽を聞いたり、髭を剃ったり掃除をしたり、そうやって暇な休日を過ごすことになった。今日は気温が高く暑い。予報によれば32℃だった。まだ日本の夏ほどではない。

日常の些末なことを記そうかと思ったけれど、特段書くことがなかった。ただ耐え忍ぶ毎日は、耐え忍んだだけの見返りがあり、それはそのまま正当な見返りで、期待以上のものではなく、見合わないほどでもなかった。時間を切り売りしている。売れる時間があるだけまだましだと思っていいだろう。世の中には売れない時間のほうが多い。ここがいいというわけではなく、このまま日本に戻れなかったらいいのになーと思う。でもそれには多大なるめんどくさい努力が必要で、その努力が結果に見合うものだとはとても思えず、努力を払うに至らないのでありました。得るものはそれほどではない。日本も外国も、それほどのことではない。それよりめんどくさい。こういっためんどくささを自然に過程に結びつけることができる人だけが結果を導くのだろう。いや、それすらも過程か。では人はその先に何を求めるのか。そこが一番肝心になってくる。それがなければ初めから行動は起こらない。

読みたい本が手元に無く、最近読んでいるのは読みたくもない手元にある本であり、その本の存在を知ったのは高校生の時に読んだまた別の本だった。「痛快!憲法学」という本で、痛快シリーズというのが出ていたらしいが全て著者が違い僕はこの憲法学しか読まなかった。憲法学とは言うものの、その中身は経済の話が多く、アダム・スミスのインビジブルハンドに始まりサミュエルソンの一般均衡理論やケインズ経済学とヒトラーの公共事業について、そして僕が今読んでいるマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のことが解説されていた。もちろん中心の話題は憲法で、リヴァイアサンを縛る鎖が憲法であり、憲法を機能させるための仕組みが三権分立だったり。僕は高校当時、経済学も政治学も全然知らずそういう名前は歴史の暗記記号の一つでしかなかった。しかも僕は理系だったからほとんどやっていない。興味あったら読んでみてください。著者は故・小室直樹。

痛快!憲法学―Amazing study of constitutions & democracy

痛快!憲法学―Amazing study of constitutions & democracy

 

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神には当然ルターもカルヴァンも出てくるけれど僕の持っていた認識とは違い、中心となる人物はアメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリンだった。かと言って本がベンジャミン・フランクリン中心に触れられているわけでもない。フランクリンの13徳というのが有名らしく、僕は知らなかった。リツイートで知った。

ベンジャミン・フランクリン - Wikipedia

まだ半分ぐらいしか読んでいないけれど、読んでいて思うのはやはり今の世の中とのつながりと差異だったりする。当時はそうだったかもしれない。では今は?このプロテスタンティズムの倫理というのは今も生きているのだろうか。今でもそれが資本主義の精神に直結しているのだろうか。特にマックス・ヴェーバーの生まれた国であるドイツの労働観とはまるっきり違う印象がある。この本の中でもアメリカの事を書いているように思える。アメリカの倫理観なのだろうか?ドイツでは育たなかったのだろうか?現代に至るまでに変容したのだろうか?変わったのだとしたら、どのような経緯で、どういう形に変わったのだろう。知っている人がいたら教えてください。

プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

 

岩波はいつからKindleで読めるようになったんだ