現代の若者は尾崎豊に共感しないという話

尾崎豊の世代ではない。同世代の人は15の夜とi love youしか知らず、尾崎豊がどんな人なのか全然知らないということが多い。僕らも現代の若者と同様に「彼に共感」という世代ではないのだろう。宇多田ヒカルと年が近く、彼女は尾崎豊の曲を昔ライブでよく歌っていたらしい。もし彼女が彼に共感していたのだとしたら、僕らはその最後の世代になるのかもしれない。

 

個人的な思い入れ

僕自身は中学生の頃に尾崎豊の曲をよく聞いていた。今でも10曲ぐらいなら歌えるだろう。好きな曲は、誕生とかScrap Alleyとか傷つけた人々へとか。当時も周りで聞いているような人は全然いなかったし、話題を共有する人もいなかった。死んでからかなり時間も経っており、世間からはある種忘れられた存在だった。それでも聞くきっかけになったのは友人の一人が聞いていたからであり、根強いファンや一部の新しい世代からも受け入れられる、そういう魅力的な歌だったように思う。彼の歌の魅力というのは、やはりまず曲そのものにあった。声であったり音であったり曲調であったり。今聞くとやはり古いと感じるけれど、抑揚が良かったり突き抜けるような爽快感がある。歌詞の青臭さも良かった。本でも映画でも歌でもそういう若さのにじみ出るようなものが好きで、尾崎豊の青臭さというのはサリンジャーや太宰治に通じるものがある。

ファンの間では尾崎のベストアルバムは回帰線だと言われている。

回帰線

回帰線

 

尾崎豊の時代

さて、タイトルは以前にネットで見かけた記事からそのまま取った。今検索してみると元記事というのはなかったけれど、関連記事のようなものを見かけることができた。ネットで見かけた頃にちゃんと中身を読んでいなかったから今回たまたま思い出して読んでみると、そんなにしっかりとは語られていなかった。

当時の若者と現代の若者の違いなんて挙げればきりがない。だから今の人が当時を歌った歌に共感できなくてもなんら不思議ではない。今でも共感できるという人はいるのだろうか。もしかしたらいるかもしれない。ただ僕は現代の若者との間に接点なんか無いため確かめる術はない。尾崎豊は当時、十代の代弁者とかカリスマとか呼ばれていたらしい。それほどまでにウケた理由というのは、彼が歌った当時の世相によるところが大きかったのだろう。僕の頭に浮かんだのは「抑圧」という言葉だった。特に若者に対する抑圧、当時の学校なんかは校則違反があったりするとバリカンで頭を刈られたりすることが平気であった。今はあまりそういう話を聞かない。若者に対する当時の抑圧というのはわかりやすく、有無を言わさない押し付けのようなところがあった。そういった抑圧に対する反発も過激でわかりやすく、共通の思いを抱いた人たちが共感したのではないかと思う。

現代の抑圧

では、現代はどうかというと、抑圧というのは現代においても確かに存在する。でもそれは当時とは形を変えている。現代の抑圧は強制的ではない、なんとなく雰囲気を漂わせるといった空気が支配する世の中になっている。「ああしろこうしろ、あれはだめこれはだめ」とははっきり言ってくれない。「〜するのが普通、常識的に考えて」といった空気読み合い合戦になっている。間違っていたからといって殴られることはない。バリカンで丸坊主にされたり祈らされたりすることもない。ただ知らぬ間に異質なものとして扱われている。そういう扱いを受けないないため、空気という大枠の外に出ないように、人々は常に敏感に周りの状況を察知していなければならない。周りから直接受けるプレッシャーというのは現代において少ないかも知れないが、周りを気にする努力を怠っては居場所がなくなるという空気を読む努力を周りに強いられているようなプレッシャーはあるかもしれない。このあたりは何か具体的なソースやリサーチがあるわけでもなく、記憶に残っているどこかの意見や僕の想像に過ぎない。

現代に通じる部分はあるだろうか

約30年ほど前、尾崎豊が歌った時代には、今ではあまり見られないような直接的な抑圧が存在した。それに対する反発、必ずしも全てが反発とは言えないんだけど、社会的抑圧に対するメッセージのような歌は、その社会そのものが形を変えた現代ではなかなか伝わらないのかもしれない。しかし僕が思うのは、その根底にあるものは同じではないか。抑圧というのは現代においても形を変えて存在し、それに対する反発というのも同じく存在するはずだ。だから、尾崎豊の歌の表面的な部分ではなく芯を捉えた人であれば、それが例え現代の若者であったとしてもおそらく共感できるのではないかと思う。僕は現代の若者ではないから、それが具体的にどういう部分かっていうのはわからないけれど、そういう人がいれば教えてほしいものだ。