「自分が」フォローする人と「自分を」フォローする人は全然違うという話

チェコ好きさんの「旅と日常へつなげる」を読んでいて、SNSなんかを利用していれば自分の狭い興味や観測範囲の中で囚われてしまう、といったような話があった。それは、自分がフォローする人は自分が興味ある界隈の人であり、自分をフォローする人もまたそうである、だからSNSにおける空間というのは人も中身も凝り固まり偏ってしまうというような内容だったと思う。その部分について異論はなく、それとは少しズレた話として思い出したことを書く。 

旅と日常へつなげる ?インターネットで、もう疲れない。?

旅と日常へつなげる ?インターネットで、もう疲れない。?

 

 

Twitterやfacebook、ブログ、ネットに限った話ではないんだけど、僕の場合はその、自分がフォローする人と自分をフォローしてくれる人というのが結構違っており、互助会ではないが本当の意味での相互フォローというのがあまり成り立たない。興味関心のある分野であったり人というのは、自分の遠く先を行っている人が多く、彼らは下位にいる僕に対して興味関心を示さない。つまり、僕がフォローしても相手は僕をフォローしない事が多い。その逆もまたしかりで、自分をフォローしている人の分野、その内容についてあまりにも興味を示せないことが多い。(僕がフォローする人は「僕の先を行っている」と書いたが、僕をフォローしてくれる人に対して「僕が先を行っている」などとは感じていない。フォローしてくれる人たちがやっていることは僕と全然違ってそれぞれ凄いと思う。ただ単純に興味が持てない。分野や興味関心、観測範囲が違うだけでどちらが優れているとか劣っているとかいう話ではない。しかし自分がフォローする人に関してはその内容において確実に自分より先に行っている人、すなわち上位であることを実感する。フォロー・フォロワー関係というのは実際のところ同列どころか対極でさえないというのが僕個人の意見である。)

同時に思い出したのが、このブログでも2度ほど取り上げている高城剛とホリエモンの対談だった。一般的には怪しいこの二人の名前が出てきた時点で敬遠する人は多いかもしれないが、その内容は実に興味深いものだった。

ここではホリエモンが以前にリリースした「テリヤキ」というアプリについて書かれている。テリヤキというアプリはホリエモンの周囲にいる人たちが集めた良いレストラン情報が掲載されており、そういった情報ルートを持たない人に届けるというアプリだ。ホリエモンは自分をフォローする人たちにそういう情報を届ける。しかし、高城剛はそこに載っているようなレストランを既に知っていた。高城剛はホリエモンをフォローする側の人間ではなく、同じかもしくは上位におり、彼にとって「テリヤキ」は既に通り過ぎた内容ばかりで必要がなく、面白味もなく、関心の持てるアプリではなかった。彼ら二人の間ではフォロー・フォロワー関係が成り立っていない(電子的にも高城剛はSNSをやっていない)。二人の活動は似ている部分があるけれど、この対談においては根本的に違う部分が浮き彫りにされている。

ホリエモンは自分をフォローしていない人に対しても自分の考えていることなどを広め、啓蒙し、拾ってはカバーしていこうとしている。自分のステージまで、もしくは自分に関心を持つステージまで来ていないような広い一般層までも視野に入れた活動している。一方、高城剛の活動というのは一見したところ実に消極的だ。それは彼が一般層を対象とした活動をしていないため、あまり我々の目に届かないからだろう。しかし実際の彼の活動は精力的で幅広く、講演を行ったり多くの書籍を出版しては信者を募らせている。彼が対象とするのは飽くまで「自分のステージにいる人」もしくは「自分のステージを目指している人」に限られており、ホリエモンと違って一般層には関心がない。その分中身は濃く充実しており、まるで別世界の話のようにも思える。だから一般の人たちが見たところで話についていけない。

自分をフォローする人を手広くカバーし、啓蒙していくようなホリエモンスタイルであれば、そこには広く大きな空間ができあがるのかもしれない。自分のステージにいる人たちだけでどんどん先に進んでいく高城剛スタイルは、見た目が小さくても先の見えないような深い空間ができあがるのだろう。僕は小市民だから彼らのような根源的な意味においての自分のフォロワーなんていう人はおらず、彼らのどちらにもなれない。かといって自分がフォローする対象というのもここ数年なかなか見つけられないでいる。今までにフォローしてきた人からは多くのことを学び、賛同してきたように思う。あらゆる人から得た沢山の情報がごちゃ混ぜに絡まり、自分の中にある。そして今のところ新しく「自分が」フォローする対象をなかなか見つけられないでいる。ここから先はお手本のない世界で一人地味に暮らすのか、もしくはそのうちまた「この人すごい」って思う人を見つけるのかなと思う。