罪と罰について

当時大学生だった。友人はおらず、スポーツや学業に打ち込むこともなく、バイトに励むわけでもない。何もない時間をただ通り過ごしていた。大学を卒業しても働くだけ。その働くだけが嫌で、先延ばしするために大学に行っていた。自分が望んだ学力の大学には届かず、「家から近い」というだけの理由で受験した大学に通っていた。毎日通っていたのは、主に大学の図書館だった。雑誌を読んだりパソコンを借りたり、たまに本を読んでいた。誰でも知っているような、有名な本を読んでいた。名前だけは知っているような本。特にそれが読みたいわけではない。それは意味のある生活ではなかった。目標がなかった。自分はこの、限られた自由な時間と多額の学費を浪費していた。何に替えるわけでもなく、垂れ流していた。僕が読んでいた本に出てくる彼も、初め似たように見えた。何にもなれない男、ラスコーリニコフ。でも彼は僕とは違い、実力を認める人たちがいた。彼の書いた論文は評価され、学術誌に掲載されていた。彼を慕う人間もいた。そして彼が望むのはそういうものではなかった。彼は複雑で、衝動的で、荒んでいた。かなり理解し難い神経質さだった。潔癖だった。彼の精神は細く研ぎ澄まされ、突き刺すような毅然とした力強さがあった。同時に曲がりやすく、留めにくいところがあった。

 

彼に抱いた印象は、「腹が空き過ぎて、何を食べていいかわからない」そういうものだった。飢えてはいるが、どの食べ物を身体が受け付け、嘔吐せずに吸収してくれるのかわからない。食べる物が定まらないうちに腹はどんどん空いてくる。身体はやつれ、思考が乱れる。そんな中で掴み取った食べ物に当ってしまった。それは毒だった。彼は腹を下し、嘔吐し、さらに痩せこけていった。そういう時に彼が出会ったのは、ソーネチカという女性だった。彼女は言うならば慢性的な「飢餓」であった。「飢餓」であることに満たされようとしていた。彼は彼女に興味を抱いた。「飢餓」であることを受けれている奇特な女性は、一体どういう精神をしているのか。彼は彼女を解き暴こうと試した。彼女にあったのは彼とは違う弱さであり、危うさだった。

この物語はおおまかな筋で語られることが多く、単純に見ていけばわかりやすい。わかったような気になる。でも頭に残り続けるのは複雑な部分であり、詳細な描写であり、わからないところだった。その意味は、なんのために、本心は、何なんだろう、わからないまま駆け巡る。複雑さがほどけないまま単純な物語を読み進めていた。その先にあった答えは、僕には理解できなかった。受け入れられるような答えではなかった。そしてラスコーリニコフ自身も、その流れに翻弄されつつ抗っているように見えた。そんなものではない、と。読み終えた僕はそのまま同じ物語を読み返した。気づいたら3日経っていた。

彼の不安定な知性や感覚、行き過ぎた態度もそれを貫き通す力強さも僕にとっては憧れだった。彼のようでありたい、けれど彼のようにはなれない。彼の複雑な部分を読み解くことはできず、遠く及ばない。物語の単純さとその展開は腑に落ちないままだった。良くも悪くもラスコーリニコフのようになれなかった僕は、何事もないまま大学を卒業してしまった。 そして彼とは全然違う人生を歩み、その複雑さをいまだ理解できないままでいる。

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

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