日曜の昼にヘイトを書き連ねる

商業として成功したければ、感情に訴えかければいい。

理性への訴えが主ではなく、訴えは、大部分、オスカー・ワイルドが「知性より下のところを狙う」と名づけた方法によって進められています。 

ーE.H.カー「歴史とは何か」
本を読んでいる人が、頭が良く見えるとき - Letter from Kyoto

人を感動させることがビジネスになる。お金になる。だから成功したければ、基本として感情に訴えかけるのを忘れてはいけない。理屈やデータで組織は動かせても、個人は動かせない。

昔から言うだろう『技術の発展は戦争とエロによって起こる』って

seiyoku

その原則が性欲ビジネスにある。インターネットやアプリ業界、VRも生物の根源的な性欲を基盤に発展している。性欲を元に発展したビジネスは他に何があるだろうか。性欲に繋がるものは全てその派生した亜流と言える。ファッションとか、音楽とか、芸術とか

大事なのは中身ではない。雰囲気である。だから中身のない雰囲気商品が飛ぶように売れる。野菜の味よりも見た目が重視される。中身のない平和や戦争反対が支持される。売れたければ、雰囲気重視、なんとなく感情に訴えるものを作ればいい。それは理屈ではない。正解がない。過去を研究しても明日の答えは転がっていない。時としてわけのわからないものが当たり、時として同じことをやっても外れる。しかし、人間の感情には傾向がある。パターンを研究せよ。

人は事実や正論よりも、耳障りのいい言葉を求める

近年において消費者を感動させることに一番成功したのがアップルという会社だろう。そこにはスペックや数字では説明のしようがないハッタリと、かっこよさと、感動がある。アップルの成功商品はデザインとユーザーインターフェースである。アップル製品の設計は何よりも感情に訴えかける。その成功は理屈や数値では表せない。アップルは創業者の感覚で運営されていたみたいだが、通常の企業となると、消費者の感動を作るマシーンと化してしまう。そこに思想や情熱はない。技術と設計で感動を構築する。それはもはやビジネスモデルという名の金儲けマシーンである。消費者は感動にカネを払う。

結局アメリカにおいては、自分の経済的能力を評価するものは、消費者しかいないのである。消費者がどれだけ金を払おうとするか、ということしか評価基準がなくなってしまう。確かにそれがアメリカ資本主義を発展させる重要な契機になっている。しかし、この経済観念は一歩延長すれば、ユダヤ的資本主義のような別種のものへと移行してしまうだろう。モノづくり固有の卓越性の追求から消費者の満足の追求への移行は、禁欲的な労働倫理から利潤追求の精神への移行と対応している。

ー佐伯啓思「大転換」p138
資本主義の精神はどこへ行ったか - Letter from Kyoto

ビジネスで成功したければ感動を研究しなさい。性能や実用性ではなく、どうすれば心が動くか。本能に訴えかけることができるか。消費衝動を引き起こせるか。情熱はいらない、思想はいらない、魂はいらない、私情も余計だ。良いモノを作ろうとしなくていい。消費者の気持ちを考えて、人の感動データを研究して、カネを払わせるモデルを構築することだけが、あなたの仕事です。

消費者はバカじゃない?9割はバカです。世の中を見渡せばわかる。バカの感情に訴えかけるのが至上の命題です。このバカというのは知能が低いというよりも、むしろバカでしかいられないという意味を指す。自分の身の回りにある多種多様な事柄全てにおいて、誰がいちいち把握していられるだろうか。1割の人間だけがその分野に精通している。それ以外9割の人間はわざわざ頭を使っていられない、他の分野で1割に入るから、それ以外9割の分野についてはなんとなくやり過ごすしかない、全てにおいて1割の人間ではいられない。それがバカという意味。だから9割のバカ(=大衆=レイト・マジョリティ)に訴えかけるのが重要になってくる。

僕はそういう消費社会に打って出るのが嫌だ。誰かの願望を刺激したり、人が喜んだところで何も嬉しくない。お前ら全部不幸になれなんて全く思わないが、人がどう感じたり、どうなろうと僕には関係ない。だから、他人を喜ばせたりして金を巻き上げたりするのはだるい。知ったこっちゃねえよ、関わりたくねえよって思う。