「素晴らしき日曜日」感想・評価

先日、黒澤明の映画について書いた日記にコメントが有り、「素晴らしき日曜日」という映画をおすすめしてもらった。黒澤明の映画はサムライ映画だったりシリアスな映画ばかり見ていたが、今回見た「素晴らしき日曜日」は言わば日常系だった。 どんな映画か全然知らずに見たから良かった。Wikipedia等にはネタバレがあるので、ここにはネタバレにならない程度の概要と感想を載せておこうと思う。

舞台は戦後の東京、まだ戦後復興も始まったばかりで、これからの日本がどうなるか先行きも不安だった頃の話。ろくな仕事もなければ家も家族や友人と同居しているカップルが、休みの日曜日にデートをする。そのデートも散々なことばかりで、カップルは悲嘆に暮れる。過酷な情勢を生きるつらさ、苦しさ、そこで生活する人間の弱さと、それでもなんとか、苦しい中でもお互いを励まし合い、手を取り合って生きていこうとする希望のようなものが描かれた、人を励ます映画だった。

映画が公開されたのが1947年、太平洋戦争の終結が1945年だから、本当に戦後すぐの日本がそのまま出てくる。焼け野原、ボロボロの家屋、路面電車が走る交差点で野球をする少年たち、ホームレスと化している戦災孤児、終戦の隙に一財を成した者との格差、不当な商売で儲けを出して生活する者などが、今そこにあるそのままの現実として登場する。この姿は全くファンタジーではない。自分はそういう時代を生きていないから、これがなかなかえげつないと感じる。この時代の日本、こんな状況を当たり前の日々として生き抜くのは、自分には無理なんじゃないか。

主人公の男性は太平洋戦争の帰還兵で、お金も希望もない。彼女に対して「俺に残っているのは君だけなんだ」と何度もこぼす。彼女はそんな状況においても笑顔を絶やさず前向きで、「こんな状況だからこそ夢を持って生きましょう」と男性を励ます。しかし本当はただの強がりで、そうでもしないとやっていけない現実がある。デート中の度重なる小さな不幸に、彼女は打ちひしがれて涙を流す。それでもなんとか笑顔で前を向こうとする明るい女性。こういう人たちに人間は励まされて生きながらえてきたんだな。

この映画は戦後間もなくの話だけど、そこには時代を越えた人間の姿があった。不幸の積み重ねに苦しみ、立ち直れなくなる弱さ。先行きの見えない日常を生きるつらさ。それを励ます人、人間関係、愛情というものがいかにかけがえのないものか。幸せとはなんなのか。幸せとはその一瞬にある小さなもので、吹けば飛ぶように消えていってしまう。その一瞬をいかに大切にするか。そして、何もない状態で夢を持って生きるということが、どれほど難しく、同時にどれほどの生きる希望になるか。状況が困難であればあるほど、そこで暮らす人たちのそういった生々しい姿は、今を生きる我々にとっても十分な手本、教訓になるだろう。

どうでもいいけれど俳優の人が、背格好も顔も太宰治に似ていた。