ピピピのブログで、記事内容を読むのがめんどくさい人用に動画で読みあげるっていうのをやっていたのでパクります。
↑読むのめんどくさい人は再生(30分)
映画の黒澤明に続き、定番シリーズです。別に、自称本好きのくせにドストエフスキーも読んだことないやつってハーン?と言いたいわけではないです。ただ読んでいないなら、やっぱりおもしろいからオススメしたい。そのことを先日「地下室の手記」を読んで改めて感じた。「罪と罰」はもう4、5回読んでいる。「カラマーゾフ」も2回は読んでいる。「悪霊」はまだ読んでいないから読みたい。初めて読む人にオススメしたいのは、先日読んだ「地下室の手記」だ。
ハードルの低い「地下室の手記」
なぜ「地下室の手記」を最初に勧めるかというと、ハードルが低いから。このことは他のブログ等でもよく言われている。ドストエフスキーを読むに当たってのハードルは4つある。順番に挙げていくと
- ロシア人の名前
- キリスト教的価値観
- 時代設定
- 本の分厚さ
ロシア人の名前問題
一番のハードルとなるのは、どう考えてもロシア人の名前だ。最近の翻訳では統一されていることも多いが、同じ人物が3通りの名前で呼ばれていたりする。「罪と罰」の主人公ロジオン・ロマーヌウィチ・ラスコーリヌコフはロジオンとかロージャとかラスコーリニコフとか人によって呼び方が変わる。最初は同一人物のことだとわからなかった。娼婦のソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワはソーニャとかソーネチカとかソーネンシュカとか呼ばれている。シーンによって、情感の込め方で呼ばれ方が違ったりもする。さらに登場人物が多くて、馴染みのないロシア名だから余計に誰が誰かわからなくなりこんがらがってしまう。
しかしご安心ください。「地下室の手記」においては登場人物が5人ぐらいしかいません。その5人は役割が明確であり、誰が誰だったか名前を覚える必要はありません。このロシア人の名前問題をスルーできるのはかなり大きい。
キリスト教的価値観
キリスト教的価値観はドストエフスキーに限らず、ヨーロッパやアメリカといったキリスト教圏の小説全般、それどころか文化全般の根底に存在する非常に巨大な価値観だ。これがあるかないか、少しでもわかっているか、全く理解していないかで、小説世界そのものに対する理解が大きく変わってくる。物語を正しく認識するためには、キリスト教的価値観というベースがどうしても必要になってくる。
例えば西洋の法律はキリスト教の教義が元になっており、どのような事柄に対して罪の意識を抱くかの根底にもキリスト教がある。これは我々日本人の価値観と全然違う。日本人の代表的な価値観は「みんな仲良く」の和の精神や穢の思想になるが、それは日本人だけの価値観であり、キリスト教文化圏にはキリスト教文化圏特有の価値観を元に世界が成り立っていることを理解しなければならない。
「地下室の手記」については「カラマーゾフ」のように宗教的なテーマにあまり触れていないから、キリスト教的価値観についてそこまで意識しなくても読み進めることができる。
時代設定
ドストエフスキー小説の舞台は末期の帝政ロシアであり、農奴解放後の時期になる。19世紀後半のロシアという微妙な空気や、当時の世界情勢について少しは知っていないと、ピンとこないことがたくさん出てくる。脚注で一応解説してくれてはいるが、いちいち立ち止まって読んでいられないし、脚注だけ読んでも当時の流れを知っていないと難しい。今とでは制度も文化も文明も全く違う。さらに国が違うから、日本の江戸時代みたいにテレビや映画で馴染みがある世界観でもない。おまけに小説だから絵も写真もなく、頭の中でそのイメージを浮かべないといけない。なかなかハードルが高い。
小説を読んでそれを知る楽しみはあるんだけど、読んで知るのと、知っている上で読むのとでは、やはり書かれている内容に対する理解に大きく差が出る。せっかく日本語に翻訳されているにもかかわらず、時代と文化の障壁にさえぎられて、肝腎の本の中身にまでたどり着けないかもしれない。
そんなことを言いつつも、なんとなく読んでいてもおもしろいから、ある程度はなんとかなる。理想としては歴史の前後関係や、当時の流行なんかも知っておいたほうが小説への理解が深まる。
本の分厚さ
ドストエフスキーの小説は基本的に上中下の3巻だったりカラマーゾフが5巻だったり、とにかく分厚い。それがシリーズ物とかではなく、場所や時代が動くわけでもなく一つの物語として続いている。しかもその長い物語にこれまで挙げた3つのハードルを含んでいる。そう考えると気が重くてなかなか手に取れない。
一体誰が好き好んで読むのか。苦行じゃないか。そんな風に思うかもしれないが、ハードルを乗り越えるだけの十分な見返りがある。それは勉強になるというよりも、単純におもしろい。本は分厚いけれど、読み進めていると長さは感じない。むしろ本が終わってしまうときの寂しさの方が強く感じるだろう。
そして、「地下室の手記」については短いです。141ページでドストエフスキー世界を堪能できる。入門にはぴったりだろう。これを読んで、内容には満足しても分量に物足りなさを感じたら、次に他の長い作品を読んでみましょう。
手始めに「地下室の手記」
「地下室の手記」が他のドストエフスキー小説に比べ、いかにハードルが低いかご理解いただけただろうか。内容については以前にまとめているのでそちらを参照ください。
意外と読みやすい「罪と罰」
初めて読んだドストエフスキー作品は「罪と罰」だった。人によっては「地下室の手記」よりもこちらのほうが物語に没頭できて読みやすいかもしれない。「罪と罰」は殺人事件の犯人が判事に追い詰められるというストーリーを中心に置いているため、推理小説やミステリ感覚で読める。主人公が学費を滞納して除籍になった元大学生(一人暮らし)というのも親しみやすい設定だ。さらに主人公と、売春で家計を助けている少女との歪んだ恋愛要素もある。
ロシア人の名前問題(光文社古典新訳では呼び方が統一されている)や、19世紀の慇懃な言葉遣い、信仰を基礎とした価値観などのハードルは残っているものの、読んでいけばそれさえも独特な味わいと感じる。世界中の多くの人を魅了した「罪と罰」は、以降多くの作品の下敷きにもなった。いまだその魅力は衰えないどころか、他の作品が全く踏襲できていないところも残されており、読んでいないのはさすがにもったいない。
難解でも止まらない「カラマーゾフの兄弟」
「カラマーゾフ」はここに挙げた3作の中だと一番ハードルが高い。登場人物は多く、キリスト教の要素が大きく関わっており、分量も多い。しかも物語は未完ときている。「カラマーゾフ」を最初に読むのは正直おすすめしない。ただ難しいと言っても多くの人は高校から大学生の間に読む本だから、全然読めないことはない。
「カラマーゾフ」を読んでしまうと「罪と罰」がある種ちっぽけにさえ感じる。ストーリーは強欲で金持ちの地主であるフョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフと、3人の息子たちが遺産や女を取り合うのが主軸となる。「罪と罰」のように一人の人物を中心に物語が展開していくわけではなく、様々な性格の人たちがドタバタと物語を進行していき、そのドタバタっぷりがまさに西洋の舞台を見ているみたいだ。ありとあらゆる要素がふんだんに盛り込まれており、エンタメとして読んでもおもしろいし、それだけで終わらすことができない発見もある。ドストエフスキーを読み始めたら、いつかのお楽しみのためにとっておこう。
頭のおかしい人ばかり
ドストエフスキー作品に共通する魅力は、狂った人たちだ。女は号泣するし、男は大声をあげて演説を始める。ショックを受けてブッ倒れる人もいれば首を吊って自殺する人もいる。癲癇の発作はたびたび登場し、アル中も見慣れている。一挙一動が狂っている、発想が狂っている、何でそんな激怒するんだろう?考え過ぎだろ?ロシア人ってみんなこうなの?ドストエフスキーを読むたびに、日常的に登場する劇場的な狂った人たちを目の当たりにしてショックを受ける。結構みんな自然に狂っているから、そういう社会なのかなと思ってしまう。デフォルメなんだろうけど違和感がない。内心思っていることを全部表にさらけ出している感じで嘘がない。やりすぎ感はある。さらにその狂った人たちを際立たせるホラー映画ばりの演出も素晴らしい。我々の常識からは遠い彼方にある、狂気が日常化した世界へようこそ。
ラノベや大衆小説もいいけれどドストエフスキーを読んだことがない人がいたら、絶対おもしろいから一回読んで!って言いたくなる。文学作品としては実は敷居の低いドストエフスキーのすすめでした。