「海辺のカフカ」感想・書評

僕らの人生にはもう後戻りできないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんなふうに生きているんだ。
上巻p343

話題の「騎士団長殺し」読みましたか?僕の手元には「騎士団長殺し」どころか「多崎つくる」も「1Q84」もなく、しかたがないから「海辺のカフカ」を再読していた。「海辺のカフカ」が発売されたのは僕が大学生の頃で、大学の本屋に「少年カフカ」が積まれていたのを覚えている。読んだのは社会人になってからだった。5年以上も前のことであり、内容はぼんやりとしか覚えていなかった。せっかく再読したんだから、ネタバレありの感想を書こうと思う。

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あらすじ

この小説のタイトルになった「海辺のカフカ」とは、曲の名前だ。同時に一枚の絵のタイトルでもある。その絵を元に、曲が書かれた。物語としての「海辺のカフカ」は、ひとことで言ってしまえば東京に住む15歳の少年が高校をサボり、1ヶ月ほど香川へ逃避行してまた東京へ帰っていく話。初めてのおつかいならぬ、初めての一人小旅行を描いた小説だ。曲であり絵である「海辺のカフカ」と、少年の小旅行がどのようにかかわってくるかというと、曲を作った人と東京から来た少年が出会い、お互いの偶然を重ね合わせ、お互いの妄想を信じ切る形で恋仲になる。その妄想を陰で現実的にサポートする役割をはたすのが、ナカタというおっさんだ。ナカタさんは「ねじまき鳥クロニクル」で言うところの間宮中尉のような役割だ。

ここまでのあらすじを読んでもわけがわからないと思う。何を隠そう、わけがわからない小説だった。全ては曖昧に描かれ、答えを明示していない。答えどころか進行まで曖昧に描かれている。「海辺のカフカ」は東京都中野区野方と香川県高松市を舞台にしているが、そういうリアリティを重ねて読むのはなかなか無理がある。現実的な生活とはあまりにもかけ離れている。一体どう読めばいいのか、おまけにギリシャ神話の引用や哲学用語まで頻出してわけがわからない。詩を読んでいるような感覚に近い。なんじゃこれ、と思った人もたくさんいただろう。ただまあ一応、はっきり書かれていないにしても筋道はある。物語は時系列に進み、進行もある。そういわけで、断片的に感想を述べていこう。

マンガのような登場人物

村上春樹の小説を読んでいれば、今までにもあったようなことだけど「海辺のカフカ」の登場人物はよりマンガ的だった。現実を生きる人間の生々しさがそこには描かれていない。たとえば大島さん、佐伯さんなんかを頭の中で思い描いてみようとすると、どうしても線で書かれた絵になってしまう。この二人を思い浮かべようものなら「ライジングインパクト」や「七つの大罪」を描いている鈴木央の絵になる。

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大島さんの印象とこの絵柄、被らないだろうか

ナカタさんは「どうだ、明るくなったろう」の成金のじいさんかモノポリーおじさんみたいな雰囲気の人を想像する。

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主人公の田村少年もそうであり、父親のジョニーウォーカーもそうだ。どこか絵的であり、キャラ的だ。そこには「ノルウェイの森」に出てきた突撃隊や永沢さんのような、「スプートニクの恋人」に出てきたすみれのような、どこか身近にいそうな人間臭さが感じられない。この小説に出てきた生きた人間の姿は、東京から横浜まで送ってくれた若いドライバーぐらいだろうか。もしくは夜行バスで同行したさくら。しかし彼らもある意味ではまた象徴的、記号的な現実の人物と言える。

この小説においては現実的な人物と、幻想的な人物がわかりやすく書き分けられている。それぞれが属する世界を象徴していると言える。そして主人公の田村少年が最終的にどちら側へ行くか、という物語と言えるのかもしれない。

父親殺し

エディプスコンプレックスというフロイト心理学の用語は有名で、それを直接的に扱った作品というふうに見ることができる。父殺しと言えば「カラマーゾフの兄弟」が有名だが、あそこには元々の父殺しのテーマに含まれる、母親を奪う部分は描かれていなかった。「海辺のカフカ」では父親殺しよりもむしろ、母親への愛情について深く触れられている。幼いころに母親と姉が家を出ていき、彫刻家の父の元で育った田村少年は、年上の女性と出会ったときに「この人が僕の姉じゃないだろうか」と考える。中年の女の人を見かけるたびに「この人が自分の母親かもしれない」と想像する。母に捨てられたトラウマやコンプレックスから脱却し、大人になる物語だと言ってしまえばあまりにも短絡的だなあ。

田村少年は香川県の図書館を訪れ、運営している50代の女性に恋をする。これはもちろん「お母さんかもしれない」という想いが発端になったコンプレックスの延長だ。

お互いの欠損を埋め合う

ひと通り読んでみて思ったのは、田村少年と佐伯さんはやっぱり全くの他人で、全く繋がりはなかった。彼らはお互いが、人生のある時期において欠損を抱えており、それを埋め合うために、意識的に互いの幻想を重ね合わせていただけのように思う。だからこれは結局、生き別れの母子が偶然出会う奇跡の物語ではない。他人に母親を重ね、15歳の少年に失った恋人を重ね、お互いがお互いの物語に沿って、都合のいいように相手を解釈していただけなのだ。お互いが、交互に、相手の仮説に合わせた役割を演じる。もともとは繋がりのない全くの他人なのに、あたかも相手の物語に登場する人物かのように演じる。

そして後々登場する幻想の中で、それを自らの真実にする。この小説ではメタファーと表現されている。具体的に言うと、森の奥だ。そこは思い込みの世界であり、森の兵隊は本当に存在していたわけではなく、大島さんから話を聞かなければ出てこなかった想像の人物だろう。

感想

この小説には全体的に現実感がない。その幻想的な物語の世界に入ることで、重要だった現実を忘れる。果たして本当に、現実は重要だったのだろうか。現実はただの現実で、生活でしかない。そこには我々人間にとって、重要な意味など存在するのか、そういう想いが広がっていく。しかし最終的に主人公は、幻想の思いを抱いたまま現実へと戻っていく。このあたりはどうも、という感じだ。ホシノさんは裏主人公と言えるだろう。現実しか知らなかったホシノさんは幻想を体験し、厚みを増して現実へと帰っていく。

抽象的な部分だらけだったが、全体的には村上春樹の本分とも言える冒険小説だった。冒険の展開が進んでいく物語は広がりがあって、先が読めなくておもしろい。

カラスと呼ばれる少年は、田村少年を導く影のような存在として描かれている。大島さんが言っていたコロスに近いかもしれない。意識的な客体であるように見える。つまり、自分を客観的に見る自分がこのカラスと呼ばれる少年ではないだろうか。その主客はときどき入れ替わる。彼は抽象的な概念として存在する。田村少年が佐伯さんに海辺に連れられると、カラスと呼ばれる少年は佐伯さんの死んだ恋人として登場した。あそこの導入はこの小説で一番好きなシーンだ。

僕は彼女の肩に手をまわす。
君は彼女の肩に手をまわす。
彼女は君に身体をもたせかける。それからまた長い時間が流れる。

「ねえ知ってる?ずっと前に私はこれとまったく同じことをしていたわ。まったく同じ場所で。」

「知ってるよ」と君は言う。

「どうして知っているの?」と佐伯さんは言う。そして君の顔を見る。

「僕はそのときそこにいたから」

下巻p153

芸術と性描写

「海辺のカフカ」にはこれまでの村上春樹小説同様に、性描写がふんだんに盛り込まれている。芸術のテーマは生と死だと言われており、性描写やエロスもそこに含まれる。村上春樹の小説は国内外問わずポルノ小説のような扱いをうけることが多いらしい。それは人間の日常生活から見た印象で、裸婦の絵画やヌードのポートレートがポルノと見紛われることと同じだ。村上春樹の小説に限らず、日本文学は昔から露骨な性描写にあふれていた。

何を持って芸術とするか、ポルノとするかなんていう線引は僕にはよくわからない。同じものだとも言えるし、全く違うものだとも言える。明らかにポルノを目的として作られたものが、芸術的評価を受けることもある。それはつまり、作り手の意思が必ずしも反映するわけではない。受けてのとらえかた次第、というわけでもない。そのものに込められた何かが、ポルノにしかなりえないものと芸術になり得るものを分けるのか。芸術的価値とはなんだろう。芸術を勉強したことがある人なら、そのあたり言葉で説明できるのだろうか。

関連

小ネタ

村上春樹本人が四国を訪れてうどんを食べるという旅行エッセイが「辺境・近境」におさめられている。「海辺のカフカ」における香川県高松でうどんを食べるシーンは、この体験をベースに描かれているだろう。 [asin:4101001480:detail] ナカタさんの影の色が薄いという部分を読んで、「ハードボイルド・ワンダーランド」を思い出した人も多いだろう。「ハードボイルド・ワンダーランド」では、引き剥がされた影が出てきた。ナカタさんの失った影はどこへいったのか。

もう一つ「ハードボイルド・ワンダーランド」と重なるネタとして、森の奥の町がある。そこには図書館が出てくるが、15歳の少女によると図書館には本がなく、記憶だけがあると言う。それってあの頭骨の図書館じゃない?

あなたに私のことを覚えていてほしいの。あなたにさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかのすべての人に忘れられたってかまわない 下巻p467

これは完全にノルウェイの森の直子だよなー。

[asin:4101001553:detail] お題「村上春樹」