NHK「明日世界が終わるとしても」を見た

3月15日と16日にNHKでやっていたドキュメンタリー番組「明日世界が終わるとしても」を見た。15日はヨルダンのシリア難民を5年間支援している37歳の男性の話、16日はルワンダ内戦の被害者・加害者に12年間付き添い、現地の大学で平和学を教えている50歳の男性の話だった。

シリアに帰る日まで ~難民支援・田村雅文~

明日世界が終わるとしても「シリアに帰る日まで ~難民支援・田村雅文~」

シリア難民を支えている田村雅文さんは、平日働きながら休日を支援の時間に当てている。難民支援のために日本の会社を辞め、ヨルダンで就職口を見つけ、奥さんと子供を連れて移り住んだ。しかも支援団体を自分で立ち上げ、日本で募金を募り避難民に配ったりしている。なんじゃそれ、そんな人いるの?っていう感じだ。アラビア語も堪能で、スーパー超人に見える。この人がなんでそこまでしてシリア人を助けたいと思ったか気になったが、それも番組で語られていた。

田村さんはもともと正義感が強く、国際協力にのめり込んで20代のころに青年海外協力隊に入り、シリアに住んでいたらしい。そこで非常によくしてもらい、家族同然に扱ってもらったとか。「お前はもう、うちの子だから」とまで言ってもらえていたそうだ。そういう恩があり、シリアで紛争が始まったときにはいてもたってもいられなかったと言う。これは多分、この人の人柄が良かったからそういう扱いを受けたというのも大いにあるだろう。

難民としてヨルダンに逃れたシリア人たちは、拷問で失明していたり迫撃砲を受けて松葉杖無しでは歩けなくなっていたり、現地の人に嫌がらせを受けたりして生活が苦しい。それでもいつか内戦が終わり、シリアに帰れる日のことだけを希望に生きている。そういう人たちの声を聞きながら、田村さんはシリア難民の家々を周る。彼らが本当に望んでいることは支援ではなく、ただ祖国に帰ることであり、田村さんは自分が何も力になれていないんじゃないかと無力感を覚える。シリア内戦は2011年に始まり、今も終わる兆しがない。田村さんが紛争を終わらせて、彼らを祖国に帰すことは不可能だ。難民たちは次第に祖国に帰るという希望さえ失いかけている。田村さんは5年の支援活動をふりかえり、自分に何ができるか考える。

至った結論は、難民たちを結びつけること。自分が関わっているシリア難民同士を会わせた。難民たちは話し合う中で「どうすれば再びシリアの地を踏めるのか」という議論になり、考え、お互いの意見を出し合う。シリアに帰ることをあきらめ、生きる希望を失いかけていた彼らが「やはりいつかはシリアに帰りたい」という思いを分かち合うことで、再び希望を取り戻した。彼らがシリアに帰るその日まで、田村さんは難民支援を続けるのだろう。

これは非常に難しい問題だと感じた。内戦は軍部や他国の干渉で動いており、国民はただ被害を受けるだけで置いていかれている。難民同士が結びつき、お互いを励まし合うことはいいことだと思うけれど、それがグループになって地域や他の団体との争いの種にならないよう上手く舵取りをしなければいけない。シリアの内戦がこれからも続けば、結束したシリア難民とヨルダン人が揉める可能性もある。ただでさえヨルダンでは、シリア難民が仕事を奪うとヒンシュクを買っているそうだ。

ではなぜシリアの内戦がいまだ続いているのか。どうすれば終わるのか。これはもうよくわからない。

7年目を迎えるシリア内戦:ますます混迷を深める諸外国の干渉 | ニューズウィーク日本版

シリア支援団体『サダーカ』:田村さん主催の団体

虐殺を越え“隣人”に戻るまで ~ルワンダ・佐々木和之~

明日世界が終わるとしても「虐殺を越え“隣人”に戻るまで ~ルワンダ・佐々木和之~」

ルワンダ内戦は23年前にあった。僕は当時小学生であまり知らなかったが、後に「ホテル・ルワンダ」などの映画で、フツ族からツチ族へ一方的な虐殺があったことを知った。現在ルワンダは経済発展が著しく、ツチ族フツ族という垣根を越えたルワンダ人という意識が拡がりつつあるようだ。しかし内戦からまだ23年ということもあり、当時を生き延びた被害者にはトラウマが残り、親類を殺された人たちには恨みが残り、加害者は罪の意識に苛まれ、お互いのわだかまりはそう簡単に消えない。

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佐々木和之さんはルワンダの大学で平和学を教えながら、被害者と加害者両方に付き添い、ルワンダ人同士の関係修復を図っている。被害者はどういう不安を抱えているのか、加害者はどういう気持ちで被害者と向き合っていきたいのか、それぞれの心の内に耳を傾け、関係改善の場を設けようと努めている。佐々木さんがルワンダを訪れたのは35歳の頃で、それまでイギリスの大学院で平和学を学んでいた。内戦から6年しか経っていなかった当時、ルワンダの姿は衝撃だったそうだ。そして家族でルワンダに移り住み、以後12年間活動を続けている。

加害者たちは罪の意識が強く、被害者に対して謝りたいという気持ちを持っている。しかし同時に、加害者もしかたなくやったという側面がある。反対すれば殺されていたのは自分たちだった。実際虐殺に反対した多くのフツ族穏健派が殺された。一方被害者側は人生を狂わされている。傷を負い、身内を亡くし、今加害者が何を考えているのかわからず、不安は消えない。佐々木さんは加害者たちに被害者への謝罪の機会を設け、再び共同生活を行う場を作っている。

これを見ていて僕が思い起こすのは、同時期にあったボスニア紛争のことだ。ルワンダ内戦の加害者たちが罪の意識を持ち、被害者との関係を改善したいがやりかたがわからない、という状況はまだ救いがあると思った。加害者の中には報復で家族を殺された人もいて、恨みの連鎖が起こってもおかしくない。しかし番組に出てきた加害者は、まず自分の罪を償いたいと言っていた。佐々木さんのような人が間に立ち、時間をかけて向き合っていけば、いずれ隣人に戻れる日が来るかもしれない。

しかし、同じ虐殺が起こったボスニアでは、どうもいまだにお互いが憎しみ合っているような感じがする。スルツキ、フルヴァツキ、ボシュニャチが罪の意識を持ち、関係改善を望むことなどあるのだろうか。ボスニアにも「政治家が決めただけで民族なんか関係ない、旧ユーゴ人はみな兄弟だ」と言う人はいる。しかしセルビア人は、コソボのアルバニア人は一体どう考えているのだろう。このあたりは政治や領土の問題が大きすぎて、関係改善のめどすら立たないんじゃないだろうか。

民主主義について思う

国を追われたシリア人、虐殺の波に逆らえなかったフツ族、いずれも国家に翻弄された民衆の姿がそこにあった。二人の日本人は壊れてしまった現状を立て直すため、元の状態に戻すための支援活動している。しかし残念なことに、現状は政治の風向き次第で更に悪くなることもありうる。シリアの内戦がこのまま続けば難民に希望はあるのか。ルワンダで再び同じような指導者が現れる可能性はないのか。そうなったとき、民衆が政治に踏みにじられないようにするには、どうすればいいのか。

民主主義とは本来、そういう危機感から生まれたものじゃないだろうか。民衆が政治の犠牲になることを防ぐため、自ら権力を持ち、国家の担い手となる。一部の人間の利益や、他国の利益のために民衆の生命が脅かされないよう、民衆自らが考え、強い意志を持ち、国家運営の気概を持つことが民主主義の始まりだろう。

彼らが、そして我々が、それだけの気概を持って、自らの生活を守る強い意志を持って政治に関われているだろうか。シリアでひどい目に遭い、命からがら逃げてきた難民が口を揃えて「シリアに帰りたい」と言っていた。そうなるのか。それでもやはり、祖国へ帰りたいという気持ちになるのか。よく「戦争になったら外国へ逃げればいい」と言う人がいる。もし日本人が国を追われ、他国で難民生活送ることになっても同じことが言えるだろうか。シリア難民のように「祖国へ帰りたい」と強く願うんじゃないだろうか。そのような状態に陥らないためには、どうすればいいのか。もしそうなったとき、祖国はもう存在しないかもしれない。日本省とか。