「わたしを離さないで」感想・書評

もしかしたら、そうかも。そうか、心のどこかで、俺はもう知ってたんだ。君らの誰も知らなかったことをな p421

率直に言って、なんじゃこりゃーという小説だった。この前に「日の名残り」を読んでいたから、一人称の独白で過去を回想しながら現在にたどり着くという全体としての大まかなスタイルは同じだなあと思った。著者が育ったイギリスを舞台にしているところとか、時代設定は「日の名残り」と少しずれているけれど、雰囲気はどことなく共通するものがあった。でもそれ以外は同じ作者が書いたと思えない。幅が広いと言うか、人物の描写があまりにも違いすぎて、なんじゃこりゃー。というのはこれを書いたのがおっさんだとはとても思えなくて。

カナダでカズオ・イシグロの講演会があり、僕はその当時まだ名前を知っている程度で作品を読んだことはなく、偶然その場に居合わせただけだった。講演会の入り口に列を作るファンたちは、カナダ人女性ばかりだった。それが「わたしを離さないで」を読み終えた今となってはすごくうなずける。当時最新作だった「わたしを離さないで」は、女性の心理描写と子供の考えることを表現するのがうますぎる小説だった。この世界は一体どこから出てきたのだろう。もちろん架空の話だが、そこにいる人たちやその行動、習慣、感情はどこかにある確かなものを持ってきている。そんなものはなかなか再現できるものではない。文章でも演技でも、当事者がやっても難しいだろう。ましてや彼は男性のおっさんだ。自身の経験としては無いはずだから、想像、創作でしかない。取材や資料はあったかもしれないが、ここまで再現することにとにかくなんじゃこりゃーだった。特殊な舞台を設定して、ある種デフォルメとしてわかりやすくなっているのかもしれない。

当時、わたしには秘密の遊びがありました。辺りに誰もいないとき、立ち止まって無人の光景をながめるのです。窓の外を見るのでもいいし、戸口から部屋の中を覗き込むのでもかまいません。とにかく無人でさえあれば、どこをどうながめてもよく、要は、ほんの一瞬でも、別世界にいることを想像したかったのだと思います。ここは生徒であふれかえるヘールシャムではない。静かで穏やかなどこかの館。住んでいるのは私とあと五、六人…と。  p140

このシーンなんかはシンプルなんだけど、子供時代にこんなのあったなあって思わせられる。しかし記憶をたどってみてもこんなことはない。似たような経験も思い出せない。それでもなんとなく知っているという感情が呼び起こされる。

たとえば自分の過去を回想してみたところで、とてもこんな感情は思い起こせない。でも彼の文章を読むことで、自分の過去にもあったであろう何かが、引っ張り出されるような感覚を覚える。それはもう、今の僕からすれば昔過ぎてはっきりとした形にはならないものだけど、多分この本を読んだ多くの人がそういうものを形にしていると思う。子供の頃のことや、若い時分の恋愛のこと、友人のこと、過去にあったもの、眠っていた思い出。この体験は自分自身の経験を振り返えるときよりもむしろ鮮明で、そんなとんでもない文章が一体どうやって生まれるのか。

物語そのものをとらえようとするのは難しかった。書かれていることが難しいというよりは、自分の心の持っていきようが難しい。もやがかかり、視界が晴れない。理由としては特に、僕自身がここに描かれていたような濃密な人間関係を築いてこなかったことが大きい。仲間と呼べる人たちや、互いの弱みを知り攻撃し合っても仲直りできるような、ある種言葉を介さなくても通じ合えるような長年の関係性。単純に昔のことをこんな鮮やかに思い出せないのもある。

「日の名残り」はある種わかりやすく、万人向けの簡単な小説だった。「わたしを離さないで」は読む人を選ぶ。僕のように、読んで引き起こされたものをはっきりと形にできない人もいれば、経験や感受性で乗り越える人もいるのかもしれない。とにかくその寓話的世界にいる人々の生々しさに驚く小説でした。20代前半までに一度読んだほうがいい。