その先に何があるのか

あまり考えてない。二手三手先を読むとか、将来を見据えての行動とか苦手だ。詰将棋とか考えるのもだるいと思ってしまう。その先にある利益なりなんなりを考えた上で現在の行動を決める人もいれば、その瞬間がただ楽しければいいっていう人もいる。アリとキリギリスは未来予測が不確かな現代において逆転しているなどとも言われるが、僕個人の話で言えば今の楽しみなんていうのもなかなか見いだせなくてどっちつかずと言うよりは、どちらも手にできないで歯がゆい。先にある不安を軽減するために苦労したって、その先に待っている物事はいずれにせよあまり大した違いがないように思えてくる。手にするまでわからないと言ってしまえばそのとおりなんだが、そのために頑張ろうなんていう気持ちは全く湧いてこなくて、ああ、いつもこんな話してるな。

さて、外国人旅行者の話。僕自身はあまり出会ったことがないんだけど、本やテレビでは「先のことなんて何も考えていない」という外国人旅行者を目にする。そう言うのがかっこいいと思っているフシもない。2年とか3年とか放浪生活を続けており、お金はどうしているんだろうとか、いつ終わってその後どうするんだろうとか気になる。考えられる可能性としては、

  • 将来が約束されている
  • 簡単に社会復帰できる
  • 金持ち
  • 野垂れ死に

これぐらいだろうか。将来が約束されているというのは、例えば既に何の仕事をするか決まっている人だったりギャップイヤーだったり、非現実への逃避行的な旅行をしている人たち。いわゆる帰るところがある人。彼らは長期旅行を人生経験を積むための別枠として捉えている。先のことはぼんやり決まっているから、今特に考える必要もない。

簡単に社会復帰できる人ってのは、言ってしまえば能力が高い人。どこでも簡単に溶け込めたりいつでも新しい仕事に就けたり、高学歴だったりバイタリティがあったり人脈が太かったり、チート的な人。彼らは長期旅行していようが人生に良い影響しかない。その場の思いつきでうまく渡り歩くから先のことを考える必要はない。

金持ち旅行者は意外と多いのかもしれない。マーク・ザッカーバーグもfacebookが軌道に乗ってから人に任せて1年ぐらいバックパッカーやってたって本で読んだ。彼の場合はどちらかと言うと金持ちというより社会復帰できる人に入るかもしれないが、金持ちだったら長期旅行のその後を考える必要もないだろう。

最後に野垂れ死にする人。どれにも当てはまらなければ資金が尽きた時点で旅行が継続できなくなり、旅先か地元に帰ってからか、つても能力も展望も築き上げてきたものもなく、行き当たりばったり力尽きた時点で倒れる。これも実は多いんじゃないかと思う。あまり日の目を見ないから目の当たりにしないだけで、外国の刑務所に入ったりドラッグ廃人になったり人身売買に遭ったり怪我や病気で死んだり殺されたり、ホームレスになって餓死したり、怖いけれどある意味本望なんじゃないかとも思ってしまう。

でもやっぱり怖いからそういうリスクはなるべく避けようとする。失うものは何もないと言いつつ、自ら進んで餓えや苦痛、恐怖におののく気にはなれない。割に合わない。そういった恐怖心が、あと一歩先に進むブレーキにもなっており、良いことなのか悪いことなのか。ブレーキかけつつも野垂れ死ぬことは当たり前にあるわけで、意味があるのかないのか。実際に野垂れ死んでいる人たちがブレーキかけていたのかアクセル全開だったのかわからない。自分もかなりブレーキは緩めている方に入るのか、とにかく中途半端ではある。この中途半端さは、ただしかし、どの時点にいたところでその先はあるだろうし、ぶっ飛んでいる人だって自分は中途半端だと感じているかもしれない。

要するに保証とか保険ってやつだ。日本人はおっかなびっくりで何にでも保険をかけたがるしせっせと貯金をためこむ国民だと言われているが、その日本人である僕からすれば、行き当たりばったりの野垂れ死にになかなか足を踏み込むことができず、なんのあてもなく2年とか3年とか長期放浪している人はその先どうしているんだろうなんてどうしても気になってしまうわけです。なんとかなる、なんて思ったことないし、実際なんとかなったこともない。なんともならない現実をどう生きるのか、恐怖心をうまく管理できない。