「ソクラテスに聞いてみた」感想・書評

友達、恋愛、仕事、お金、結婚といった現代人の素朴かつ根源的な悩みについて、この本では「ソクラテスに訊ねる」という構成になっている。文章は対話形式になっており、ある日facebookで友達申請が来た自称ソクラテスのおっさんと道端で出会い、お悩み相談をすることになるという進行。著者は古代ギリシャ哲学の研究者で、このようなソクラテス入門書だけでなく専門書や論文も書かれている。

初心者向けの入門書

この本はソクラテス入門書だから、書かれている内容は非常に簡単だ。僕自身は哲学もソクラテスも勉強したことないけれど、ここに書かれている内容そのものは紹介ぐらいにしかとらえることができず、その先にこそ何かがあるという感じでその先は書かれていなかったから、入門書の役割は果たしているのだろう。つまり初心者向けの入り口でしかなく、あまり真に迫る内容ではなかった。

例えば友人の章で語られているのは、一緒にいて楽しいとか、成長するとか、そういう自分の利益のために築く関係は本当の友人ではない、という話だった。ここで本当の友人、本当に相手のことを思うとはどういうことかという部分で、ファン精神が出てきたのはおもしろかった。イチローを応援して、自分が得することはあるのか?と訊かれ、ないと答える。イチローが応援にこたえてくれなかったらファンをやめるのか?と訊かれ、やめないと答える。ではあなたが応援する理由は?と訊かれ、「純粋に応援したいだけ」と答える。相手に良いことがあれば喜び、悪いことがあれば慰め、それに対して何の見返りも求めない気持ちこそが善の心であり、お互いが善の心で結ばれている関係こそが本当の友人である、という話。

多分こんなことは誰でも理解しているだろう。頭で考えたことはなく、整理して言葉にしたことはないかもしれないけれど、なんとなく気づいているはずだ。明文化することに意味があるのはわかるが、「一緒にいて楽しい」「自分を成長させてくれる」人が本当の友人だなんて本気で思っている人はいない。そしてソクラテスが言うところの本当の友人、利害を無視してお互いのことを応援できる関係性こそ本当の友人である、ってことは誰だってわかっているはずだ。そんな関係を築くためには、まず自分が応援されるような善い人間にならなければいけない、という解決法だってわかっているはず。誰もが。

実行できないことが悩み

我々現代人の悩みというのは「その部分を理解していない」わけではなく、その先にあるように思う。要するに「わかっているけどやらない」という部分だ。何故やらないのかと言えば、大変だからだ。めんどくさいし、楽しくない。窮屈で、飽きる。そういう欲求への流れをいかに克服するか、悪徳への誘いからいかに逃れるかというのが、本質的な悩みのタネであり、何が善いことか、どうすべきなのかは初めからわかっている。

この本の中にあるソクラテスのセリフとして、以下のようなものがある。

生きるうえで大切な指針は、自分をごまかさない、他人におもねらない、どんなときも最善を尽くす

貧乏を耐えるぐらい、別にどうってことないさ。僕が恐れるのは無知と悪徳だけだ

結婚は、真実には、お金や時間と引き換えに何かが得られる取り引きのようなものではない

それが善いことだというのは誰でもわかっているんだけど、いざやろうとしてもできない。自分の中の、ありとあらゆる欲望、誘惑に負ける。これらを本当に実践できる人は、感情を理性でコントロールすることができる強者なんだ。我々弱者に必要なのは、わかりきった正しい方向性よりも、いかにしてその方向に進み続けるかといった方法論なのではないかと思う。

実行に必要な指針

そういった方法論の答えの一つとして、信仰がある。「この通りにしなさい、さすればあなたはきっとたどり着ける」宗教とは善く生きるためのやり方がわからない人のために授けられた具体的なマニュアルであり、同時に一人ではくじけてしまう人たちが互いに励まし合うためのコミュニティというシステムである。

この入門書では「善きもの」とは何か、を中心に紹介しており、いかに善く生きるかといった方法論のベースまでは書いてくれている。強者であればここまでで十分だろう。我々弱者には、いかにして善くあり続けるか、欲望と誘惑に対抗できるかという具体的なシステムが必要だ。そのあたりは宗教に走らずとも、哲学を学ぶことでも導き出せるのかもしれない。

悪徳主義との対比

さて、この本でソクラテスが説く人生において最も重要なことは「いかに善く生きるか」なんだけど、この考え方の対を成すのが、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』とか、澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』とかオスカー・ワイルドとかそのへんになるのだろう。僕自身は正直どちらもちょっと嫌だなと思ってしまう。

ソクラテスが説く人生の指針は、堅苦しすぎてしんどい。かといって澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』を読んだ感想は、うげーって吐き気を催す内容だった。この両極端は、おそらく思考の単純化でしかない。どちらか極端な流れの中で生きる人というのは限られている。両方の要素を備えながら、いかにしてバランスをとるかが我々一般人には大切なんじゃないか。理性主義は理想だけど、悪徳主義もなかなか実践できるもんじゃない。

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