ヒトコトへの回答⑧:楽しい気持ち

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41通目:楽しい気持ち

こんにちは、いつも楽しくブログ拝見させていただいています。 毎日一回以上は更新チェックするぐらいみてます。

質問です。 読んでない記事も多々あると思いますが、読ませていただいた中で思った疑問です。 以前に自分の人生は終わっている、もう将来等未来はどうでもいいという事が書いてあったと思うんですが、その反面ブログの読者と会ったり外で人と喋ったり議論したりする機会があると思います。その時はやはり楽しいと思うのでしょうか? 自分も悲観的になったりどうでもいいと思うことは多々あります、だけども何気なく人と話していると気も紛れるし、その瞬間、その時は楽しいと心から思い、笑みがこぼれてしまいます。 その事に客観的に気づくと将来を悲観してどうでもいいと思っているのに刹那喜びを感じてしまっている自分に嫌悪してしまいます。 でも楽しい気持ちは本心だし否定しきれない自分がいます。 そのようなことはありますか? また、ありましたら考えを聞かせてください。

どうも。内容は「楽しいと思うことがあるかどうか」ということでいいのでしょうか。それはあります。楽しい気持ちを否定はしません。ただそれと「どうでもよさ」はあまり関係がないと思っています。刹那的な喜びなんてものは、文字通りその瞬間だけのものであって、大枠の「人生どうでもいい」という態度と矛盾するものではないです。僕の場合、刹那的な喜びが人生に影響を与えたり何かを解決することはありません。せいぜい暇つぶし、一時しのぎ、お酒を飲むことと同じ。その程度の喜びや楽しさを感じることに対して、嫌悪感を抱いたり後ろめたくなったりはしません。

その瞬間、その時は楽しいと心から思い、笑みがこぼれてしまいます。

この部分は、僕は少し違います。顔が笑っていても、楽しいと心から思えている自信はありません。月並みな言い方をすると、笑っている自分を背後から冷めた目で見ている自分がいます。笑って楽しんでいる自分を否定はしませんが、ただそれが「心から」だと言う自信はないです。

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