月半ば時雨

本当は月半ば15日に日記を書こうとしていたのに、いつの間にか18日だった。時間が吹っ飛んでいる。時間について前々から思うことがあり、先日聞いていた話では「時間軸は未来から過去へと進む」と言っていた。なんのことやら、時間について思うことはいろいろある。『アライバル』という映画は、今も過去も未来も全て同時に存在するという話だった。それは時間軸がどうこうという話ではなく、そもそも時間には進行という概念がないという話だった。

他に、時間は膨張したり収縮したりする。加速したり減速したりする。1日の間に1万年の時間を過ごしたりする。僕らはまだそこのところを意識的に調節できない。最近の3日間は図らずも10分で過ごした。時間を加速していたから自分は10分で過ごしたつもりだったが、周りから見れば3日間部屋の中でじっと過ごしていたように見えただろう。周りに人はいなかったが。そのうち他とピッタリ時間を合わせたい。

『若い読者のための短編小説案内』を読み始めようと思ったら(若くない)、無理だった。若くないから無理なのではなく、本で紹介されている短編を読んでからこの案内を読まないとわけわからない構成になっていた。『若い読者のための短編小説案内』は大学の講義を文章にしたような内容で、受講生には事前にテキストを繰り返し読み込んでくるように指示している。そして受講日までに可能な限りを尽くして好きな部分や疑問点を書き出してくるようにと。

なので、少なくとも先に本文を読まないといけない。本文は講義前に配られたかもしれないが、ここには収録されてない。各自で用意しなければいけない。さて、本文を探そうと思ったら、一つ目の短編初っ端から全集にしか収録されていない。無理、無理。それ以外は講談社文芸文庫にあった。図書館向きだ。図書館で『若い読者のための短編小説案内』のページを捲りながら横に全集や講談社文芸文庫を積み上げていたら、それは僕ではありません。

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

私の一冊|講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部

反重力について考えていた。反重力とは、物理的作用なんだけど、実は意識の問題ではないだろうか。つまり、その源は自分の意思なのではないか。体が地球に引っ張られることに反対する意思。反重力だから反対と言ったが、どちらかというと緩和に近い。重力を緩める。緩めることで、体への重みは和らぎ、次第に浮き上がる。何か機械のような装置を使うわけではなく、人の意思で行う。

慣れないと微調整が難しく、浮き上がりすぎて急にオフにすると地面に落下してしまう。少しずつ、重力からの影響を緩める。自分の体の背中の方から全身へ、指先からつま先まで徐々に重力を解放していく。浮かんでも当たり前だが推進力はない。また重力を掴んで地面に降り立つだけ。どこかを蹴ったりすれば反動や摩擦力で進むことはできる。反重力は意思が届く範囲にしか作用しない。つまり自分の体だけで、着ている服や持っている物は従来通り重さを感じる。他人を浮き上がらせるのも不可能だ。

さいきん世代の違いを感じることが多くて、iPodで音楽を聞いていたら20代の人に「なつかしー」と言われショックだった。ああ、そうなのって。彼らはスマートフォンで音楽を聞くらしいが(僕が聞いていたのは音楽ではない)、「スマートフォンで音楽聞くとすぐ充電なくなっちゃうじゃない」と言うと当たり前のように予備バッテリーを取り出す。端子に差すタイプの。ダイソーで300円、そんなに大きくもないからつい買ってしまった。柄はなく無地です。

もう一つ、好きな映画を挙げたら誰も知らなかった。いくつか挙げたら「90年代ミニシアター」という一括りにおさまった。そんなことは意識したことがなく、そういう括りにおさまることを知らずに選んでいた。もっと、他にも見てるんですもっと、新しいのだって見てるんです。『ドラゴンタトゥーの女』とか挙げようと思ったが他と比べてあまりにも浮いていたからやめた。全体的に古い。感性が古い。おそらく、今を生きる人にとって90年代というのは中途半端に昔なんだろう。生まれた当時のことで、記憶になく実感もない、ただその名残りだけを周囲の影響からなんとなく知っている。80年代以前はもはや地続きでない古典の領域に入る。ソ連とか社会主義とか歴史上のできごとになっている。僕にとってのマーヴィン・ゲイだ。