現代人はなぜ、レプリカント"K"に共感するのか

※ブレードランナー2049のネタバレを含んでいます

底辺文化系トークラジオ「二十九歳までの地図」のブレードランナー2049回を聞いていて、「Kに共感する」というようなことが言われていた。ライアン・ゴズリング演じる、ブレードランナー2049の主人公K。デッカードに「名前は?」と聞かれ「K」と答えると、「それは名前ではなく認識番号だ。名前は?」と再び聞かれ、「ジョー」と答える。それからデッカードはKのことをジョーと呼ぶ。ジョーとは、ジョイがKに勝手につけた人間の名前だ。

「人生こんなもん」と妥協している"K"

現代人はなぜ、人造人間レプリカントのKに共感するのだろう。Kは虚無的な毎日を送っている。感情がないわけではないが表に出ず、いつも無表情だ。仕事は優秀だが、意欲的には見えない。そもそも人間に使われている立場のレプリカントであるKにとって、優秀に仕事をこなすのは、ただ人間にとって有益な存在であることを示し、生きるため、存在するためだけに過ぎない。役立たずの人造人間だと判断されれば行き場を失い処分される。

Kがやっている仕事はブレードランナー、同じく人造人間である旧型レプリカントを狩っている。そのため同胞からは憎まれており、また人間からも日常的に「人間のニセモノ」として差別されている。Kが仕事についてどう考えているかはわからない。ただ意気揚々とこなしているようには見えない。日常の差別についてどのような感情を抱いているかもわからない。生まれたときからそうだったため、そのような扱いを受けることに慣れているだろう。夢も希望もないが、それが当たり前の日常として受け入れている。

まるでサラリーマンのようだ。無能の烙印を押されないように、ただ日々を生きるためだけにやりたくない仕事を無感情にこなす。現代人が好きでやっていない仕事には、ブラックな仕事だったり、社会的に意味のないようなものや、二番煎じの真似事、多くの無駄な仕事、意義を見いだせないような仕事がある。嘘をつくことも、人を騙すような形になることも、傷つけることもある。道義に反するようなことも度々ある。初めは反発心も生まれるが、そういう環境に浸かり、次第に無感情になっていく。ただ機械のように淡々と仕事をこなすだけの日々を送るようになる。

"K"が見る夢は夢でしかない

そんなKも夢を見ることがある。子供の頃に、親からもらった馬のオモチャを、他の子供に奪われないように隠す。オモチャの裏には、Kの誕生日らしき日付が刻印されている。レプリカントは成人の状態で生み出されるため、子供時代は存在しない。子供の頃の記憶は、レプリカントの精神を安定させるために人工的に植え付けられる。でももしかすると、自分だけは特別なんじゃないか。あれは作られた記憶なんかじゃなく、現実の記憶なんじゃないか。そう思いたかった。それがあり得ないことも同時に理解していた。

見果てぬ夢を、心の片隅に抱く現代人は多い。もしかすると、何かの拍子に才能が爆発するんじゃないか、隠された出自が明らかになって特別な立場に立つんじゃないか、身の丈に合わない誰かから見初められるんじゃないか、大金が転がり込んで第二の人生が始まるんじゃないか。事故死の後、異世界転生生活がスタートするんじゃないか。全てありえない話だ。本気で期待したりはしない。現代人も心の奥底にある願望を、信じることなくひっそりと押し殺している。

ニセモノの喜びに甘んじるニセモノ

Kの唯一の癒やしは部屋にある。ジョイだ。アパートの階段や入り口で「ニセモノ!」と罵られても、部屋に帰ればジョイが暖かく迎えてくれる。ジョイとは、プログラムだ。AI、ソフトウェア、3Dホログラムで映し出される工業製品である。いかにもオタクが好みそうな容姿で、衣装は着せ替え自由。そんな彼女が、まるで二人で暮らしているかのように出迎えてくれる。毎日の話し相手になってくれる。

3Dホログラムだから触れることはできない。ネットが不安定になるとビジョンが乱れたり、ポップアップメッセージが届けば一時停止する。Kはジョイとの限定された生活を、AIだと割り切りながらも楽しく過ごす。ボーナスが入ればオプション機器を購入し、外出時にも持ち歩けるようになった。外で街娼に話しかけられたとき、ジョイの通知音が鳴ると「生身の女に興味ないのね」とからかわれる。

これはまさに、現代のアイドルファンや二次元オタクと変わらないだろう。日常生活や仕事において意味も価値も見いだせない人が、部屋での不毛なひとときを唯一の心の拠り所とする。それは虚像と呼ばれたり代用品と思われたりするが、彼ら(僕ら)にとっては紛れもない現実であり、限定されてはいるが本物の世界である。理解されなくてもいい。誰にも迷惑はかけていない。不毛でも構わない。虚像だって悪くない。だって、そういうもんだろ、俺らの人生って。手の届く範囲で精一杯満たされているんだから、それらは自分たちを健全たらしめるものだ。社会につなぎとめておくために必要なものだ。

世界を動かす大きな流れに

ここまででレプリカント"K"と現代人の類似性を見出すことができただろうか。満員電車、やりたくない仕事、行き場のない生活、行き場のない思い、自分を誤魔化して、ただやり過ごすだけの日々。現実には夢も希望もない。限られた娯楽を糧に、なんとかして踏みとどまり、そんな現実に適応するしかない。

ブレードランナー2049という映画は、そんなニセモノ"K"にとって、転機が訪れる映画だった。彼は調査の上で、ある遺骨を発見する。レプリカントの遺骨だ。その遺骨には出産の形跡があることがわかった。出産時に亡くなったらしい。当然ながら、人造人間であるレプリカントは妊娠なんてできない。歴史を揺るがす事態に直面する。

何か手がかりを見つけようと、遺骨のあった場所へ向かう。再び大きな事実を発見する。遺骨の上に植えられていた木の根っこには、日付が刻印されていた。それは、Kが夢に見るオモチャの裏に刻まれていた、あの日付と同じ。出産時に死亡したレプリカントの日付、夢に見る誕生日の日付「あれ、産まれた子って俺なんじゃね?」ここからレプリカント"K"は大きな物語に巻き込まれていきます。

とりあえずここまでをまとめたかったので、続きは映画館でどうぞ。もっとネタバレを含む感想も書いています。