ヒトコトへの回答⑪:なりたい自分像

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44通目:なりたい自分像

内カテゴリの記事が好きです。質問ですが、なりたい自分像のようなものはありますか? 以前のヒトコトへの回答で「逃げることしか考えていない」とありましたがそれはなりたい自分像はあるがそれに近づくための努力をしたくないから逃げているということなのでしょうか。それとも目標も理想の自分もないけどとりあえずのところ死ぬつもりはないからなるべく嫌なことをせずに生きていける方法を選んでいるということなのでしょうか。目標とか理想像が全くないとしたらそれはいつからなのでしょう。カワゾイさんに限らずみな、どこかのタイミングでそういうものを諦めたのに関わらず、元々そんなものなかったと錯覚しているだけではないのかなってたまに思います。私自身、前から根暗で人生におけるポジティブな目標など抱いたことないとずっと思っていたのですが最近「なかったことにしてるだけじゃ?」と思うことが増えたので聞いてみました。

理想の自分像は「全てを知る者」です。ファウスト博士ですね。博覧強記ってやつ。何を聞かれても答えられる、既に答えを出している、初めて聞いたことでも答えを導き出せる、そういう全知の存在。その目標に向けて努力している途中です。本を読んだり旅行したり考えたり文を書いたりするのは、全てその目標に繋がっています。科学分野は苦手なのでほぼ何もタッチしていませんが、いずれはその分野にも面白味を見いだせるかもしれない。

今回の質問はおそらく過去かどこかの段階で、あーしたいこーしたいとか、友達に声をかけられなかったとか、告白できなかったとか、勇気が出なかったとか、勉強や部活を続けられなかったとか、夢を諦めたとか、何かそういう失敗や挫折を抱えてのことだろう。

でもその失敗や挫折を認めるのはストレスだから、なかったことにしてしまっているだけなんじゃないか?という話だと思う。本気で思っていなかったとか、元々大した目標じゃなかったとか、言い訳を残しておくことでストレスから自分を守ろうとする。これ以前にまとめたセルフ・ハンディキャッピングの話ですね。

僕自身の態度はそこにも書いているように、だるいっていうことです。例えば「億万長者になりたい!」と思っても、その過程を考えるとめんどくさくてどうでもいい。世の中には本気で億万長者を目標に掲げて行動する人が山のようにいるけれど、僕が「億万長者になりたい!」と言うのは「ロックスターになりたい!」と言うのと同じ。「宇宙人になりたい!」とか。

それをもってきて「どこかのタイミングでそういうものを諦めただけ」とか言われても、いやー違うでしょ?と思う。全知の存在になりたいっていうのも、あまり公言できないささやかな目標です。具体的なアプローチも実にささやかで、全速力で勉強している人からすれば何もしていないのと同じ。人生は一度じゃないから、急がなくていい、自分のペースで歩んでいます。なりたい自分像はころころ変わっていいと思いますよ。人間の目標は最終的には神になることに行き着くので、なかなか1回目では到達できないと思います。

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