副作用がひどい

特にこれといって新しい話がない。何も知っておらず、何もしていない。

ただ自分の思ったことや考えたことを書き出すだけなら、外とのつながりを断って紙の日記帳にでも書いていればいい。そう思って久々に紙の手帳を使いだしたら、表紙がボロボロと崩れてしまいとても持ち歩く気になれん。そして書こうとしても言葉が浮かばない。何を書き起こせばいいのか。長年書いてきたweb日記のほうが、どうにか言葉になるから続いている。

生きる活力とは別に、生きる上での不安要素はお金、健康、孤独だということを以前に書き留めた。そういった不安要素に自分はどのように向き合ってきたかという話。

今のところそのどれもが危機に瀕しているわけではないから、これといった対策はとらずその場しのぎを続けてきた。これらの不安要素には、向き合えば向き合うほどその反動も大きいという側面がある。お金を得るにも、健康を維持するためにも、孤独を解消するにあたってもそれ相応の苦労、代償が伴う。

不安が強い人はしっかり向き合って反動に苦しんでいるか、もしくは不安を解消できる分だけ反動を受け入れているかもしれない。僕はどちらかと言うと多くを求めず、その分反動を抑えて穏やかにやり過ごしてきた。貪欲に求めないのは、願望が小さいのもあるが反動に耐えられないからというのもある。お金、健康、孤独という不安を解消しようとする試みにはもちろん失敗することもあり、失敗の反動は特に大きい。危ない橋をなるべく渡らないように、勉強したり慎重になったりする。それでも動きには必ずリスクを伴い、動かないことにもリスクが伴う。動かないリスクは緩やかなものだが致命的であり、動くリスクは場合によっては即死に至る。結局は早いか遅いかの違い。

自分は今投資をかじっていて、これは結果を出すまでに時間がかかり、その分リスクは小さい。リスクをもっと減らし、確実性を上げるためには勉強したりリサーチしたり、タイミングを計る必要がある。勝率の悪いギャンブルは自傷行為に等しい。

投与をほどほどにしないと副作用がきつい。人を傷つけたくない。