プレゼン上手い人が信用できない

休みだ。疲れた。体力がないの三拍子。地震なんかもあったが一週間ぶりにぼーっとしている。そんなわけで、サボっていた日記を書こうと思う。何書こうか。最近やっていたことは、プレゼンの講習に通っていた。プレゼンうまくなりたいとかではなく、必要があって通わさせられた。そこで改めて気づいたのは、僕はプレゼン上手い人が苦手だということ。

プレゼンとか、言うなれば雰囲気芸人である。以前に池上彰の解説について触れたことがあった。彼は難しいことを噛み砕いて、誰にでもわかりやすく解説することで有名だ。しかし僕は彼の話している内容を聞いて、そこにある「抜け」がどうしても気になる。

池上彰が嫌いなわけじゃありません

池上彰がベトナム戦争か何かについて大学の講義で話している動画を見たときに感じたのは、彼の解説が「難しいことをわかりやすく」ではなく、「わからない人には難しことを言わない」スタイルだということだった。つまり、重要な部分が抜けている。重要な部分は難しいため、わからない人には説明してもわからない。だから省かれている。それってどうなの?と思った。話の流れ全体を俯瞰するだけなら、入り口としてそれでも十分なのかもしれない。しかし、正確さに欠ける、そこを抜かしちゃー話の本質が変わってくると、見た当時思っていた(内容は忘れた)。

ここで言いたいのは池上彰disではないからこの話はそれぐらいにして、僕が言いたいことは、話芸の上手い人に乗せられるとなんとなくわかったような気になる、雰囲気に飲まれるということだ。そして本質を見逃しがちになる。話が上手い人の講演を聞いてわかったような気になるのは陥りがちなミスではないだろうか。少なくとも自分で考えたり調べた人よりは理解度が浅い。それでもまだ言っている事自体は正しかったり、ただの抜け落ちなら救いがある。問題は、冷静に考えれば明らかに間違ったことを言われているのに、話芸に飲まれ洗脳されてしまうことだ。

プレゼン技術は見世物

だから僕は、プレゼン上手い人の話を聞くときについついうがった見方をしてしまう。

「コイツ今雰囲気だけで喋っていないで、本質的なことを言ってるだろうか?」

また、話芸の上手さも冷静に見てしまう。ときどき飲まれることもあるが、本当に中身のあることを言ってる人なら文字に起こしても内容が詰まっており、資料として役に立つ。そうじゃない場合はただのプレゼン上手い人で終わってしまう。それは技術として確かに優れているかもしれないが、ある意味ショービジネスに近い。作り物。

上辺を見るか、中身を見るか

その点プレゼンが下手な人は信用できる。初めから人を魅せようなんて意識が見られず、内容だけを正確に話す。聞いている方は聞き逃さないよう躍起になり、自分の頭でも理解できるように噛み砕こうと、質問を繰り返して補完する。

「コイツ今雰囲気だけでスッカスカなこと喋ってるなー」

なんていう目線を持ったほうがいいなんてことは言わない。トークショーをエンターテインメントとして楽しむだけなら、そんな視点は邪魔でしかない。でも上辺より中身が大事だと思うんだったら、話芸に優れた人の話には飲まれないほうがいい。雰囲気に飲まれて肝心な点を見落としてしまう可能性がある。TEDなんかに出ている人は専門家で、多分どっちも備わっている人ばかりだから、トークショーと内容理解の両方が楽しめるんじゃないだろうか。全然見ないけど。