生活日誌

日常生活に制約があって、なんでもかんでも自由に書けないのが現実だ。不満というか、生活がだるいのは今に始まったことではなく、日記を書こうとすると毎日同じことしか書けないのが実際で、そろそろ爪切らんといかんなーと思う。今隣人のドアを閉める音がうるさすぎて、伝えても直らないから脳になんか異常があるんだなーと思ってあきらめている。こういうのは頭の良し悪しでもなく、彼を見ていると不憫でもあるから、軽く彼のことでも書こうか。

こういう人は今までにも何度か見てきた。声がでかく、「声でけーよ」と言ってもやはり直らない。直す必要があると思っているとか思っていないとかではなく、こいつの頭の中では「うるせえ」という言葉そのものが意味としてうまく接続していないと見える。言語のコマンドそのものが機能していない。なかなか生きるの大変だろうなー。それも自覚あるのかどうかわからない。もしかしたら本人は幸せかもしれない。

本人曰く、自分はストーカー気質だと言っていた。人からまともに相手されなくてそうなっているのかもしれない。一芸に秀でた人で、学力も高くいろいろな場で重宝される人のようだが、共同体では避けられがちだ。周りが彼をうまくフォローできなかったり扱えなかったりするからだろう。一言で言えばめんどくさい。話が長く一方的で、周りの反応を伺うという発想がない。生活において彼はノイズになりがちなので、周りの人はなるべく関わりたくないと思う。そのくせ本人は寂しいとか人恋しいとか言ってるからなかなか悲惨だ。

寂しいとか人恋しいってなんやねん。モテたいとかも言ってる。いわゆるチヤホヤされたい人なのだろう。そういう気持ちは全然理解できなくて、さらにはそういう感情と行動が矛盾していることも理解できない。筋道を立てて物事を考えられないのだろうか。不思議な事しかない。よく言う愛情の欠乏みたいなやつだろうか。事例としては確かにそういう人が多かったように思える。そうなってくると尚更負の連鎖だなあ。だって行動は明らかに他者の愛情を遠ざける方向に働いているから。