スマホの通知をオフにしている理由

スマートフォンの通知は心臓に悪い。3ヶ月ほど前、親からLINE通話がかかってきた。普段メッセージでしかやりとりしていないのに、何事かと思って出た。親はもう高齢であり、何かあったのでは…出てみると、今夜食事に行く時間がどうたらという既に3回ほど確認している内容の再確認だった。

「そんなくだらないことで電話してくるな」

とつい声を荒げてしまった。心臓に悪いと。同じことを何度も確認するのは高齢だから仕方ないとは言え、自分が安心したいためだけに人を巻き添えにするのは全くの自分本位であり、相手に悪いと思わないのかと。

しかし、責任の一端は僕にもあった。通話のコールを受ける前から既に、LINEで確認のメッセージが来ていたのだ。僕はそれを無視していたわけではなく、見ていなかった。なぜなら通知をオフにしているから。iPhone上の通知は、通話以外全てオフにしている。赤バッジもオフ。

「緊急の要件があるときはコールしてきて」と普段から言っていたのが仇になった。自分が安心したいだけというどうでもいい要件も緊急だと判断され、結局わずらわされる。急に電話がかかってきたら心配するからやめてと親には言っておいた。

通知怖い…

通話以外、アプリの通知を全てオフにしている。よく「まさか、見てないんですか?」「いつまでたっても既読つかない」と言われる。いわゆる既読無視などというやつではなく、通知オフだから来ていることも知らない。でもタイミングがずれているだけで、結構頻繁にチェックしている方だと思う。見ていないときはたいてい本当に見れないときで、逆にレスポンスが早いと言われることもある。それではなぜ通知をオフにしているのかと言うと、恐ろしいから。

通知シグナルが恐ろしい。電話が鳴ったり、振動したり、ピカピカ光っているとパニックになる。スマートフォンを開いたときにたくさんの通知が残っていると、何も見なかったようについ画面を消してしまう。スマートフォンの通知によって、心身が疲弊する。そんなものは見たくない。健康的ではない。だからオフにしている。人のスマホが一日中鳴っているのを見ると、トイレに流したくなる衝動が湧き起こる。うるせえと。

なぜこんなにも過剰反応してしまうのか。会社員時代に、昼夜問わず休日も携帯が鳴りっぱなしでパニックだったトラウマがあるのかもしれない。ただ単純に刺激に弱いのもある。そして、他人のタイミングに翻弄されて一喜一憂なんかしたくないという気持ちが強い。他の人はなぜ平気なのか、不思議でしょうがない。自分はペースが乱れるとパニックになって何もできなくなるけれど、他の人は他者の介在ごときでペースを乱されないのだろうか。

テレビ世代の情報収集

情報の取得なんて大げさなもんではないが、何かを知ったり受け取ったりするときは能動的でありたいと思う。自分の心が落ち着いているときに、準備が整っているタイミングで、自分が知りたいことだけを知りたい。そういう自分にとって、どうでもいいことにまでわずらわされる通知はただのノイズでしかない。

youtubeには延々と字幕が流れるだけの動画が溢れかえっており、こんなゴミみたいな動画を見る人がいるのか?と思っていたら、高齢者(母親)が見ていた。彼ら彼女らにとって、情報の精度なんてどうでもよかった。知りたい内容を自分で探したり、情報の真偽を確かめるということもしない。ただ流れてくる情報をひたすらむさぼるだけが習慣づいた、テレビ世代だ。youtubeは次の動画に自動的に移ったり、関連動画やおすすめ動画が自動再生される。僕は見たくもないものを再生されると困るから、自動再生機能を止めている。

情報取得の姿勢の違い

当然ながら彼ら彼女らのスマートフォンも常時鳴りっぱなしで、いらないメッセージや通知に翻弄され、しまいには「これなんとかしてほしい」と言ってくる。

「通知切ればいい」と言えば「通知されないと気づかない」と言われ、「自分で確認すればいい」答えれば「確認するのを忘れる」と返ってくる。スマートフォンの操作に対する慣れの差はあれど、それ以前に情報取得の姿勢が違いすぎる。重要な情報とそうでないものとを分別し、集約して確認することをルーティンにしてしまえば必要な情報だけを自分のタイミングで取得でき、不要な情報はシャットアウトできる、などという発想は彼らにはない。テレビのように流れる情報の洪水に、ただただ翻弄されている。

受動的であることが悪いというわけではない。ただそういう姿勢の違いがある。ノイズにまみれた中には貴重な情報だってあるだろうし、何より受動的であることに苦痛を感じず、楽しめるのであればそれに越したことはない。自分にはそれができない。自分以外の者からの干渉に対して過剰に反応してしまうから、やむなく能動的であるだけの話。

ただ干渉が苦手なだけです…

通話のコールだって、普段は取らないことが多い。無視しているわけではなく単純に気づかないだけということがほとんどだけど、何か知らせたいだけならメッセージで十分だ。基本コールバックもしない。「電話もらってた?」とメッセージで返す。そしてやはり、大抵はメッセージで事足りる。通話が必要だったり、よほど緊急であればまた向こうからかけてくる。

よほど緊急のことなんてそうそうない。相手にとっては緊急かもれしれないが、自分にとっては大したことないことが多い。そんな相手の都合に合わせるなんて、苦痛でしかない。自分の時間と精神状態を、相手に都合よくこき使われるのは御免被りたい。そのあたり自分の都合を強いる人は、自分のやっていることが他人に対して、いかに独善的であるかを自覚していただきたいものだ。自覚の上でやっているならば、単純に距離を置きたい。

今までにも同じことを何度も書いていた。音怖がりすぎ。