日本在住のオランダ人、クラベ・エスラさんの半生がすごい

最近ラジオでクラベ・エスラさんの存在を知った。RHYMESTER宇多丸のアフター6ジャンクション(通称:アトロク)で、シェンムー特集にゲストとして出演されていた。

ラジオを聴いていると、あまりの流暢な日本語。はじめ日本人だとばかり思っていた。クラベさんは来日されてから、なんと16年経っているとか。どおりで日本語が上手いはずだ。待てよ、16年ってことは、いったい今何歳なんだ。

クラベさんは今32歳だと言う。32歳で16年前ということは、わずか15歳前後で来日しているということになる。まあ、家庭の事情とかいろいろあるよな。などと思っていたら、

「シェンムーが好きすぎて単身15歳で来日した」

なんじゃそれ。どんな中学生だ。しかもそれから16年日本に住んでいるとか。シェンムーはドリームキャストで発売された一つのゲームだ。一つのゲームが一人の人生を変えてしまった、とでも言うのだろうか。いや、言ってる。ラジオでシェンムーについて熱く語っている。

クラベ・エスラさんとはどんな人なのか?

僕もラジオの特集を聴いて、シェンムーというゲームが気になり購入してプレイするまでに至った。同時に、謎のオランダ人クラベ・エスラさんについても気になった。アニメやゲームが好きで訪日する外国人はよくいる。先日までテラスハウスに出ていたジュゼッペというイタリア人男性も、日本の漫画が好きで漫画家になるため来日し、現在スピリッツで週刊連載を持っている。しかし、それはあくまで大人になってからの話だ。15歳で来日してから16年って、一体どういう人なんだ?

クラベ・エスラさんは2019年の2月に、激レアさんというテレビ番組にも出演されていたそうだ。番組を見ていた人ならある程度知っているかもしれない。

ここではスト2のリュウと言われているが、おそらくシェンムーではピンと来ない人が多いため、ストリートファイターのリュウを取り上げたのだろう。スト2のリュウファンであることも事実らしいが。

クラベさんの半生

クラベ・エスラさんは現在、IGNジャパンというゲームのレビューを行うメディアでゲームライターとして仕事をされている。IGNジャパンのWEBサイトを覗いてみると、クラベさん自身の半生を語る連載記事があった。その名もそのまま「オランダ人ゲーム少年の人生回顧録」これは気になる…。

読んでみたら、これがまあ、なんというか…おもしろい。クラベさんはもともと小説家志望ということもあってか日本語の文章に長けており、そのスキルとゲーム熱を活かして現在はゲームライターをされているようだ。ところどころ自虐的な笑いを誘う文章だったり、マメに残されている当時の写真が切ない気分を助長する。中には笑い話で済まないようなとんでもない出来事もある。主だった事件をまとめてみよう。

5歳・・・初めてニンテンドーする
6歳・・・スト2に出会い春麗に惚れる
7歳・・・おじいちゃんにスーパーファミコンを買ってもらう
8歳・・・サッカーブーム。サッカーゲームも
9歳・・・ゲーム廃人ヨルディの家でうどんを食う
10歳・・・ネット、パソゲー、ロクヨン
11歳・・・ゼルダと現実を天秤にかける
12歳・・・ポケモンから日本オタクに

このあたりまでは一見普通、ややゲームオタク寄りの少年時代だ。微笑ましいとさえ言える。しかしポケモンから日本かぶれになって以降、クラベさんの人生は急展開する。そしてついに、決定的な出来事が…

シェンムー以降

13歳・・・シェンムーに出会う

「シェンムー」という体験があまりにも強烈すぎて、その影響で僕は2度と元の普通のオランダ人に戻れなくなった。不思議な話だが、僕は「シェンムー」と出会って以来、オランダ以上に日本を自分のアイデンティティの一部と感じるようになった。

オランダ人ゲーム少年の人生回顧録 2000年 「人生最高の1本との出会い」

14歳・・・シェンムーⅡを買った帰り車にぶつかる

「シェンムー」との出会いをきっかけに、僕はもう一つの習い事を始めた。毎週火曜日、1人で電車に乗ってアムステルダムの都心に向かい、古い雑貨屋の上にある教室で日本語を学んだ。

オランダ人ゲーム少年の人生回顧録 2001年 「交通事故を起こして知らんぷりをする」

15歳・・・初来日、リアルシェンムーを体感

オランダに帰ると、僕は家や学校でちょっと酷い態度を示すようになった。日本に永住すると決めたからには、もはやオランダで機能する必要性がなくなったように思えた。授業中は日本語の教科書を開くか寝るかのどちらかで、叱れると「僕はどうせもうこの国からいなくなる。だからほっといて」と生意気な口答えをした。

オランダ人ゲーム少年の人生回顧録 2002年「いよいよ来日」

16歳・・・日本かぶれが行き過ぎて

誕生日にYさんから小包が届いた。カレーのルー、梅干し、たくあん、のり、そうめん、そんなものが入っていた。添えられた短い手紙を何度も読みながら、自分の部屋でしくしくと泣いていた。母親はたまたま部屋に入ってきて、それを発見した。

「出て行け!」と僕は日本語で叫んだ。

オランダ人ゲーム少年の人生回顧録 2003年「オランダ脱出計画を開始」

シェンムーとの出会いをきっかけに、クラベさんの人生は一変してしまう。気づいたらクラスにいるヤベーやつになってしまった。しかしクラベさん自身はシェンムー以降の自分が今の自分と地続きであり、それ以前の自分は別の人間とまで言う。

そしてこの次の年からクラベさんは、日本の高校へ留学し、そのまま日本に移住してしまう…。ここから先はクラベさんの日本での生活が始まるけれど、年表は端折っていく。

ゲームライターになるまで

17歳・・・富山県の高校で剣道に打ち込む
18歳・・・単身東京で貧乏生活
19歳・・・法政大学入学、空手道場入門
20歳・・・空手道場弟子入り、シェンムーと再会
21歳・・・初めて彼女ができる
22歳・・・ゲームに逃げる
23歳・・・大学卒業、ゲーマー友達ができる
24歳・・・道場を辞め、旅に出る
25歳・・・「僕だけの白鹿村」を見つける
26歳・・・台湾、ヒモ生活
27歳・・・結婚、日本に戻る
28歳・・・シェンムーⅢ発表
29歳・・・IGNジャパン設立、面接を受ける
30歳・・・ライターとしてE3へ

クラベさんがゲームライターとして働いているのは2016年以降であり、つい最近のことだ。それまではオランダで、日本で、アジアで紆余曲折の人生を送っていた。その中心には常にゲームがあり、そしてシェンムーがあった。

「シェンムー」をクリアすれば次は「シェンムーII」をやる。「シェンムーII」が終わればまた「シェンムー」を始める。日本へ旅立つまで、僕の日常はそんなものだった。僕はいつだって「シェンムー」していた。

オランダ人ゲーム青年の人生回顧録 2007年「どんなにツライことがあっても」

オランダに生を受け、13歳でシェンムーに出会ってから類まれな人生をおくることになったクラベさん。シェンムーというゲームはそれほどまでに、人生に影響を与えるゲームなのか。それともクラベさんに元々そういう素質があったのか。

シェンムーは今年の11月に、Ⅱから18年の時を経て奇跡的にⅢが発売された。クラウドファンディングには年収の1/3を寄付するファンもいたそうで、多くのファンの力で18年後の現代にシェンムーⅢが誕生した。しかしシェンムーはⅢでも完結せず、今後続編が制作されるかどうかは未定だ。シェンムーの続編と、シェンムーによって人生が変わったクラベさんの今後の活躍を、いちファンとしてこれからも見守っていきたい。

シェンムーⅢの開発話は現在Netflixでドキュメンタリー映画が制作されている。