コロナ禍に入って半年経ちました

8月が終わり、3,4,5,6,7,8で6ヶ月、コロナ禍に入ってから半年が経った。コロナ禍は第二波の感染拡大もあり、累計感染者数は2457万人、最近では毎日25万人近くの人に感染が広がっている。累計死者数は83万人を数えている。

日本だけを見ても、現在の状況は緊急事態宣言が出ていた頃より、マスクが品切れになっていた頃より、トイレットペーパーがなくなった頃よりも悪い。あの頃は街に人が全然いなかった。バスも電車もガラガラだった。みんな家から出なかった。しかし今はもう街に人がたくさんいる。バスも電車も以前と変わらない様子で、外国人観光客だけが姿を消した。飲食店にも人がたくさんいる。マスクをしなくなった人もたくさんいる。しかし、感染者数は3月4月より今のほうが多い。

僕自身も仕事を再開した。感染症対策も拡がり、アルコール消毒やマスク、換気を徹底して、同時に接触する人数が多くならないような形で、営業を再開している。ドイツやイギリスのように政府が保障してくれない以上、死の危険が伴うとしても、日本国民は経済活動を再開せざるを得ない。

最近、知人の一人からこんな言葉を聞いた。

「コロナって本当に気をつけないといけないのかな?」

耳を疑った。この言葉には、(ダイジョブっしょ)という反語が含まれている。ああ、そういう意識の人いるんだな、と思った。でもこの人は、2月の段階で人一倍コロナに怯えていた。隣で少し咳をするだけで、全身をビクつかせていた。そして3月以降は全く会うことがなかった。つい最近再会して、「コロナって本当に気をつけないといけないのかな?」という言葉を口にしたから驚いたのだ。あれだけ心配していたのに、そして今のほうが当時より状況が悪くなっているというのに、この人はなぜ急にこんな態度を変えたのだろう?

最近では四条烏丸のマクドナルドや、大丸の地下フロアといった、京都に住んでいれば多くの人が行き来する四条烏丸エリアでも続いて感染者が出た。京都は3月の段階で15人感染者が出て騒いでいたが、最近は30人近くになることも珍しくない。40人を超えたこともあった。身の危険を感じるなら当時より今だと思うんだけど、知人はそうではないらしい。

知人は今、結構な頻度で仕事帰りにバーへ出向いたり、人と会って食事したりしている。3月4月だったら考えられなかった。ではなぜ今安心しているのか。なぜいま危機感が薄れ、無防備になっているのか。現実には、コロナはおさまっていない。それはデータだけ見てもわかる。

身の周りでは、今もなるべく人との接触を避け、外食を控え、感染予防を徹底している人が少なくない。しかし中には知人のように(ダイジョブっしょ)という心持ちでコロナ禍以前の生活を取り戻した人もいる。

「コロナなんて大したことない」という態度をずっと貫いている人もいる。そういう人は元から主義主張が一貫している。でも知人はそうではない。世間が自粛ムードのときは人一倍怖がり、今のように緩やかにおさまってくると人一倍(ダイジョブっしょ)という態度を取り戻す。

そうか、知人はコロナなんて見ていなかったんだ。コロナの感染者数、再生産数、感染したときの症状、致死率、後遺症、そういうことは元から気にしていなかったんだ。知人が見ていたのは、世間の空気だったんだ。知人が今コロナを心配しなくなったのは、世間がそういうムードになったからだ。ムードに乗っかり、感染予防を重視しなくなった。

もともと"自粛"という言葉に違和感があった。僕自身は感染予防のために外出を控えたり、人と会うことを控えたりしているが、それが自粛だという意識はない。世間の目を憚って自粛しているわけではない。だから"自粛"に怒っている人のことがよくわからなかった。彼らは本当は外出したいのに、人と会いたいのに、世間の目を憚って我慢して自粛していただけらしい。

そういう人はやはり、データよりも、周辺の事実よりも、感染症予防よりも、世間の空気がマターなのだろうか?だから「コロナって本当に気をつけないといけないのかな?」(ダイジョブっしょ)なんていう態度で今日も過ごすのだろうか?