「あしたから出版社」を読んだ

ひとり出版社である夏葉社を作った島田潤一郎さんの、「あしたから出版社」を読み終えた。こう言うと不謹慎かもしれないけれど、とても羨ましい話だと思った。恵まれている人だな、と。著者の島田さんは、兄弟のように仲が良かったいとこを亡くした悲しみ、なにより息子を亡くした叔父叔母の悲しみの支えとなるような本を作りたいと思い、出版社を立ち上げた。きっかけになったいとこの死や、後輩の死など、つらく悲しいできごとがあった。それを軽んじるつもりはまったくない。それでも著者はいろいろ恵まれていると感じた。それはこの本を読んでいてすごく印象的な部分だった。

島田さんは31歳のとき、出版社を立ち上げるために父親から200万円借りた。後に母親から200万円借りている。うちの家ではありえない。実家が太いということがまず恵まれている。東京在住で、出版社を立ち上げてからも実家暮らしが続く。それを咎める親でもない。むしろ応援してくれている。そして出版社を立ち上げたばかりの島田さんに、編集者の先輩が仕事を回してくれる。初心者の島田さんに、一から仕事を教えてくれる。こんなにいい先輩がいるのだろうか。島田さんの周りには、すごく良くしてくる人たちがいる。両親や叔父叔母、いとこや先輩後輩と、こんなにも良い関係を築けている。それはただ羨むことではなく、島田さんの人徳なのだと思う。

文章からも島田さんの人柄がよくわかる。多分、ちょっと不器用なんだろうな、とか、真っ直ぐな人なんだろうな、とか、ひたむきなんだろうな、周りのことを見るのは苦手だろうなという、島田さんその人の人物像が文章によく現れている。この人が本屋の店員さんや、先輩や、いろんな人に好かれ、助けてもらえるというのもよくわかる。それだけのことを周りに与え、人との縁を引っ張ってくる、掴む力があるように思う。この本では「自分だとこうはならない」と思うようなことがたくさん起こる。それはただ島田さんの運が良かっただけではなく、本人の魅力だということが伝わってくる。やはり羨ましい。

島田さんは出版社を始めるにあたり、「ぼくには、つまり、本しかなかったのだ」と書いている。これも実に羨ましい話だ。島田さんは幼少期から文学漬けだったわけではないが、名前の潤一郎は谷崎潤一郎にちなんで名付けられ、子供の頃から本屋通いが日課になっており、挫折はしたが大学生の頃から27歳まで作家を志していた。「ぼくには本しかない」と言えるほどまでに熱を入れ、本と関わってきた。取り組めることがあった。それだけでも十分に羨ましい。情熱を傾けてきたこと、自信を持って「これしかない」と言えるもの、僕にはそんなもの何一つない。何もかも、気持ちでさえ中途半端だ。

島田さんがそれだけ情熱を捧げて作った本は、ぜひ読みたくなる。所有したいと思う。このために人生をかけ、出版社まで立ち上げた「さよならのあとで」を買った。挿絵一つ一つと、言葉の一つ一つを大切にしたいと思う。この「あしたから出版社」は「さよならのあとで」ができるまでを書いた本だと言っていいぐらい、第一章では重きを置かれていた。第二章は、急に失速した感じがした。時系列に話が進んでいく第一章とは違い、第二章は別々のエピソードを集めたエッセイ集のような作りだった。熱く流れるように進む第一章をおもしろく読んでいたから、第二章には最初面食らった。読んでいくうちに、これはこれでいいのだろうと思えてきた。そして最後に、「さよならのあとで」の話を回収してくれたからよかった。

「あしたから出版社」は生き方指南書ではない。誰もが島田さんのような恵まれた環境は得られないし、島田さんのような悲しい経験もしていなければ、島田さんのように頑張ることもできず、島田さんのような人徳もない。島田さんの人生は、島田さんだけのものだ。だから、サラリーマンが合わない人にどういう生き方があるのか、といった話の参考には全然ならない。ただ島田さんという人物の話を面白く読めた。ここに出てきた京都の古本屋「善行堂」で、ここに出てきた本を何冊か買ってしまった。古本屋はまた訪ねたい。買った本はこれから読みたいと思う。

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